2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

KENJIRO OKAZAKI .COM

岡崎乾二郎のHPができたとの知らせを受けました。 コンテンツはまだ増えるそうです。 こちら → http://kenjirookazaki.com/(当ブログのブックマークにも登録してあります。) 美術では映画や小説、マンガと違って、住む地域によってはなかなか作品を見る機会…

パレルゴン(16)

(つづき) 『返却』〔もろもろの復元〕は、ハイデガー(1889 -1976)による論考『芸術作品の根源』を論じたものである。『芸術作品の根源』はカントの『判断力批判』に対する批判的言及を含むものであり、ハイデガーは美学からの技術の締め出し、真理の締め…

『フリータイム』(3)

(つづき) 一般に、人々が互いを記述しようとする契機とは必ずしも「ほとんど不安にも似た興味」といったものばかりではないはずであり、また、互いの記述が暴力としての解釈を帰結することも必然ではないが、しかし『フリータイム』というこの芝居にとって…

『フリータイム』(2)

(つづき) たとえば、登場人物の一人が何かを語る、周りには五人の役者がいる。五人の役者達は壁により掛かったり、椅子に足をかけたりして身体を動かしているが、沈黙している。彼らの視線が語り手に向けられていることもある。まるで物言わぬ動物のような…

パレルゴン(15)

(つづき) カントによれば、およそ技術的所産が可能であるためには規則を前提とする。だが芸術は技術的所産であるにもかかわらず、「その作品を産出するために従わねばならないところの規則を自ら案出することができない」とされている。規則を前提とするこ…

『フリータイム』(決定)

(つづき) だが、批評は公表されるべきでないという彼女の提案には無理がある。まずもって作家は、自分の作品についてのみならず他の作家のものについてもまた、「なぜこの作品が好きか、なぜこの作品が嫌いか」と誰かが語るのを聞きたがっているものではな…

パレルゴン(の註)

「判断力批判第一序論」より およそ心の諸能力は、次の三個の能力に還元される、即ち 認識能力 快・不快の感情 欲求能力 これらの心的能力が使用される場合には、それぞれその根底に必ずしも認識ではないにせよ(概念を持たないような直観、即ち純粋直観もし…

パレルゴン(14)

(つづき) カントによれば、「美」とは自然によって生み出されたのでなければ何ものでもない。「美に関する知性的関心について」という節において、カントは趣味判断を、突然に、「単なる趣味判断」と切り捨てる。石器とチューリップの事例において明らかで…

上映時間変更のお知らせ!

岡崎乾二郎 《回想のヴィトゲンシュタイン》上映会について、 開場時間に変更があるそうです。 18:15開場 → 18:00開場 だそうです。 岡崎乾二郎氏による作家コメントも出たようです。こちらもどうぞ。 →http://www.artstudium.org/news/2008/03/post_32.htm

『フリータイム』(予定)

チェルフィッチュの『フリータイム』を観てきた。 『フリータイム』の劇評を書こうとして、ふと、たまたま手に取ったヴァージニア・ウルフ(1882〜1941)の言葉にためらった。ここで彼女の作品としてはさほど重要とも思えないエッセイをあえて採り上げるのは…

パレルゴン(13)

(つづき) 「“美”は、合目的性が“目的の表象によらずに或る対象において知覚される限りにおいて、この対象の“合目的性”の形式である。 この説明に対して異議を申し立てる人があるかも知れない、それは----我々が或る物について[一定の]目的を知らなくても…

回想のヴィトゲンシュタイン

必見!要予約! 先着150名だそうです!! ☆注意!!開場時間が変更されました。(3/13付) 特別上映 岡崎乾二郎 《回想のヴィトゲンシュタイン》 造形作家、岡崎乾二郎の8ミリ映画《回想のヴィトゲンシュタイン》(1988)がデジタル化され、20年ぶりに上映さ…

パレルゴン(12)

(つづき) 『判断力批判』の難点は、単に著者の意見や考えが変わったというだけではない、一連の矛盾が『判断力批判』の論理にとって本質的なものであるということにある。おそらく誰もがそう感じるだろうように、『判断力批判』における矛盾はいたるところ…

トラバ!

はじめてトラックバックがあった!どきどきしたぞ、どきどきしたぞ!内容を見るまでは・・・。 (T_T)