装飾について その3 *3/21画像の一部を変更

John Ruskin

 モリスにとって工芸美術は、自然の尊重、素材の知識、技術の知識、生活への知識、文化や歴史への知識を活用することで生み出されるべきものである。美を事物の生成に必要な時間*1の遵守によって裏付けること、それこそが、利潤を最優先に計算された労働に対し抵抗する美術工芸、労働のあるべき姿である。モリスは、自分たちの売り出した壁紙がセンスのない使われ方をされていることに落胆させられていたようであるが、問題は制作に注がれた道徳、美術、形而上的なるもの、なのである。それが、モリスの言う日用品を芸術にすること、すなわち「豊かさ」の価値である。
 モリスの手がけた「美術」とはおもに装飾(被覆装飾)である。用いられる染料や素材の選択および制作技術において、それがモノとして正しく作られる必要はもちろんだが、装飾としての機能の上でもまた正しくあらねばならない、とされる。壁紙であれ絨毯であれ、それぞれ事物の用途、用いられる環境に応じて、装飾の全体が構想されるのでなければならない。たとえば壁紙に用いられる色彩の色合いや強度、パターンの有り様、色彩が生む運動の有り様などなどは、室内空間の目的や装飾の視覚的効果を視野に据えて構成されている。*2ちなみに、モリス商会の家具には装飾を施していないモノも多い。カーヴィングやニス塗装のみで美しく仕上げてあったりする。こうした事物が示しているのは、美術と工芸が不可分であるということであろう。カーヴィング(取り扱いや強度を目的とする)やニス塗装(資材の保護を目的とする)といった表面加工は事物としての機能にもとづく工芸でもあり、同時に触覚や視覚などの感覚に訴える美術でもある。道具は単一の「用」から成ってはいるわけではない。様々な「用」から成っている。機能の相対的な自律性*3はあっても、そこに「工芸か美術か」というような矛盾や対立があるわけではない。
 さて、ここまではいずれにせよ機能が問題であった。だが、彼にとって装飾は既存の機能に仕えるだけではない。装飾とは知と技術による構築物のことであり、人々の心に憧憬の念をかきたてるような何かであろうとするものだった。イマココではない、どこか別の場所へと。彼はこうした脱出・脱自の感覚を、「宗教」と呼ぶ。モリスにとってそれは神ではなく自然への愛を意味しているが、しかし、理想社会を念頭に置いて言われるのであるから、やはり形而上的なるものである。装飾は外部への視線(外ヅラ)に向けられるべきではなく、使用者の内面へと向けられるべきなのである。では、そうした装飾が理想社会への憧憬であることは、デザインにおいて、どのようにして示されるのか。このことは、ゴシックリヴァイバルの気運に乗って各地で活発化した古建築の改修に対するモリスの抗議活動が、端的に示しているように思われる。自身装飾家であったモリスであるが、ここでは、技芸とマテリアル(物質)への抑圧という意味において「装飾」を批判してもいる。古建築には、我々が失ってしまった、いまだ我々には理解し切れていないような技術と知恵がある。ゆえに、建築の外形のみ(内装の見かけのみ)を修復するという名目でこれを破壊するようなことはしてはならない、というのが彼の主旨である。つまり、外ヅラ・ハリボテ批判である。研究者であり技術者でもあったモリスは、なんの検証もなしに古くからの技術が今日もそのまま存続しているなどとハナから信じることはなかった。
 モリスにとってはもろもろの技術こそ「民衆」であるが、しかし、「民衆」はたとえば「民族精神」に代表されるような観念的連続性を保証されておらず、そこに切断のあることが認識されている。学ぶべきものをいまだワガモノにしていないという認識があるからこそ、モリスは様々な民族の、様々な時代の技術を貪欲に学んだのだと言える。モリスがユートピアとして思い描いた生活は中世ばかりではなかったが、そうした〈技術=民衆〉がモリスの美意識と哲学を通過して今日の事物として現れることによって、装飾が、脱自であると同時に開示であるような、理想社会への憧憬であることは示される。彼の言う「美術」すなわち「芸術」としての「楽しい労働」には、こうした含意がある。
 多くの場合、モリスは花や草、果物、鳥などを装飾に取り入れた。モチーフとしては珍しくないばかりか当時にあってさえよく用いられたなものであるが、しかし、彼が描こうとしたのは、たとえば藪をすり抜けてゆく感覚や、花と蔦の絡まった壁、寝ころべそうな野原、鳥のさえずる森、というような、身体的に感じ取られるような自然の風景であったところに特筆すべき点がある。用いられるモチーフはそうした風景を構成する特異点(似顔絵を描くときに思い浮かべる特徴のようなもの)として選ばれる。個々のモチーフは写生から描き起こされ、線描を活かしつつモチーフの特徴あるヴォリュームを捉え、複合的な幾何形体によって分析され構成の補助線を与えられることで、装飾構成として使い得る模様として形成される。(図1)




 彼の装飾デザインは、二層から三層の交差し重なり合うレイヤーによって構成されており、色彩によって厚みと浅い奥行きが与えられている。パターン構成のラインが生む枠にモチーフをはめ込んでゆくのではなく、一つの模様が複数の構成ライン(ゲシュタルト)に参加し、さまざまな構成ラインをモチーフ同士の結びつきによって生みだすことに、力が注がれる。(ゆえに視線の運動は際限なく次々と続いてゆく。)*4一つ二つと模様が数えられるようなデザインはダメ、と、モリスは言っていたらしい。モリスによれば自然を直接持ち込むわけではない室内装飾にとって、そこに無限の連続と広がりを与えることが重要であり、ゆえに区分けされたマス目に模様(形態)が行儀良く配置されるだけの装飾は否定されるべきものであった。
 以下、「イーヴンロード」(1883)と名付けられたテキスタイル用のデザインを例にとって、構成の手順を再現してみよう。(図2)


1 まずパターンを反復するためのおおまかなガイドの枠を作る。


2 隣接した5マスを使って、主要な2つのモチーフを上下左右対称に配置する。内3つを、S字のラインで結ぶ。主要なモチーフと結びつけるよう、サブのモチーフを配置する。これらが全体の基本的な骨組みになる。


3 2で作ったラインによって分割される部分を、上下左右の関係(置かれる位置によって、モチーフ間の結びつきが生む運動・構成のラインが異なる)を同時に考慮しつつ、複数の模様による流れと収束を中心に描き進める。

*5


 美術史家のゴンブリッチ*6の『装飾芸術論』*7には、動物において、いかにして装飾が発生するかについて触れている箇所がある。なんと書いてあるかと言うと、動物における装飾活動の発生はさえずり、歌声にある、というようなことが書いてある。鳥の歌声はチャンネル(固有の周波数)を占有することで世界に溢れる音を制しつつ、同種間での特別な合図を可能にする。壁に心を繋ぎ留めるための歌声、他者への呼びかけ、それがモリスの「美術」である。(おわり)

*1:自然および物質の理、技芸および機能の理

*2: 杉山真魚による研究論文、『ウィリアム・モリスの生活芸術思想に関する建築論的研究』が、モリスに関する優れたレポートである。http://bit.ly/yXvaVw

*3:諸々の認識のあり方を主宰する形式の差異。

*4:いわゆる「平面充填」。Wikiによる以下のリンクを参照 → http://ja.wikipedia.org/wiki/平面充填

*5:装飾研究家のクライブ・ウェインライトはモリスのデザインについて懐疑的であり、彼の仕事はオーウェン(Owen Jones 1809 〜 1874)やピュージン(Augustus Welby Northmore Pugin 1812〜1852)に比べて何ら秀でたものではない、としている。(前掲書『ウィリアム・モリス』リンダ・パリー編に所収。)モリスがオーウェンによる装飾に関する教科書を所持していたことはよく知られており、また、オーウェンとピュージンについてはそれぞれの功績があり装飾デザインにおいてのみ比較するのは公平を欠くが、モリスと彼らの違いは、構成の違いにある。オーウェンにせよピュージンにせよ、彼らのデザインは、基本的には導線でもある主役のラインが生む空白をモチーフで埋めるという、シンプルな階層化によってパターンを作り出す。

*6:Ernst Hans Josef Gombrich; 1909〜 2001

*7:白石和也訳 岩崎美術社