2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

近江

大阪の大槻能楽堂にて、『大阪観世九皐会百周年特別公演』を鑑賞。曲目の一つは『鸚鵡小町』。私は語るほど深く能とつきあってきたわけではないから、深く触れることはできないが、素晴らしい舞台であったと思う。*1素人門外漢の興味から言わせてもらえるな…

・プロフィールの欄のメールアドレスを更新しました。 『すもも画報』のメルアドを通じて連絡をしてくださる方もいるので、一応。 ・ブックマークを更新しました。 私が高く評価する研究者・批評家・アーティストである平倉圭さんのブログですが、リンク先が…

『芸術作品の根源』 世界とは何か 最終回 9/13改(青字部分)

(つづき) 問題は「世界」とは何か、あるいは、「世界」を「開示する」とはどういうことか、という点にある。一見、ハイデガーの論説を脱構築することは[論説の上では]簡単であるようにも見える。たとえば、「世界」を「開示」することを本性上の差異とす…

『芸術作品の根源』 世界とは何か 5

(つづき) 整理しておこう。ハイデガーによれば芸術と技術との差異は、その技術としての本性が開示されるか否かにあった。しかし、本性の開示が事物(技術)それ自体の差異ではなく、事物(技術)を見る主体の態度の違い(「存在を問う」か否かという違い)…

『芸術作品の根源』 世界とは何か 4

(つづき) 『技術論』で示される存在についての問いは、或るものを他から峻別するために起源としての他者を反復することを必要としない。事物(技術)の絶対的な出現を画する根源は、もはや事物(技術)自身しかないのであり、事物(技術)は事物(技術)で…

『芸術作品の根源』 世界とは何か 3

(つづき) 絶対的な差異の創出としての「根源」を反復すること、この試みに対し、それが「来るべき言語」であるか否かは、結局のところ、過去ばかりでなく未来にも開かれた様々なコンテクストが判断するはずである。*1この可能性なくして「現存在」も、「世…

『芸術作品の根源』 世界とは何か 2

(つづき) 「存在を問う」ことが「出来事」の条件であった。それは未だ条件に過ぎないとしても、だが「存在を問う」とはどういうことか、「存在を問う」ことはどのようにして可能なのだろうか?「存在」、「歴史」、「闘争」、「死」の連携を見てゆこう。「…