2010-01-01から1年間の記事一覧

篠崎英介 『Mowing-Devil』

篠崎英介の個展『Mowing-Devil』*1へ行ってきた。なんだか聞き慣れない名詞が展覧会タイトルになっている。Wikipediaによると、「Mowing-Devil」とは17世紀にイギリスで発行された、ミステリーサークル(crop circle)に関する最も古い報告記録(チラシ)の…

公園ができるまで  *5/2リンクの不備を修正

すぐれたドキュメンタリー(映像レポート)、『宮下公園 TOKYO/SHIBUYA(前・後編)』について。 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/351 (前後編併せて一時間ほどです。) ご覧のように、これほど分かり易い「危機」はない。これは民主主義…

ブックマークを追加しました

ブックマークを追加しました。「リテラエ・ウニヴェルサレス」と「ASLSP アスレスプ」の二つ。 でも、ブックマークを追加したら、ブックマーク表示で全部表示されなくなっちゃいました。なんで制限あるんだろ?クリックすると全部見ることはできるんですけど…

「X(dead letter)」について 2   4/21改

(つづき) 「これを知らねばならない」という文の、「ねばならない」とは何か、これを分析せねばならないと、デリダは言う。「ねばならない」についての問いは、判断するとはどういうことか、ということであり、つまりこれは批評の問題でもあり制作の問題で…

「X(dead letter)」について

そもそも分析とは何か。分析が分析であるためには、抵抗が先立たねばならない。抵抗なくして分析はなく、分析は自らへの抵抗との関係によってのみ、分析であり得る。そしてまた、分析とは抵抗の正当な主体(主権)を見出すことによって解決を、隠された意味…

ガンバレ!!

私はテンション上げたい時はこの曲です。 Everyday in the week I'm in a different city If I stay too long people try to pull me down They talk about me like a dog Talkin' about the clothes I wear But they don't realise they're the ones who's …

映画『グラン・トリノ』

敬愛する知人が「ひどい映画」と評していたので、この映画を観てみることにした。と言うのも、私の中でのクリント・イーストウッド作品に対する評価は必ずしも「ひどい」ものではなく、その評価は意外なものに思われたからだ。とは言え、もう少し詳しく言う…

柄谷行人 × 岡崎乾二郎 対談

東京の四谷にある研究所、四谷アートストゥディウムにて、『岡崎乾二郎対談シリーズ----5 ゲスト柄谷行人』*1が行われ、聴講した。進行は、3時間ほどの枠の中2時間くらいを柄谷行人による講義が占め、残りの時間が柄谷と岡崎乾二郎とのやりとりで占められ…

Blockhouse Sunagawa (おまけ)

友人の木原進さんより、以下のページを紹介していただきました。 ここでBlockhouse Sunagawaの写真が公開されています。 http://kenjirookazaki.com/info/jp/2010/02/blockhouse-sunagawa.html http://picasaweb.google.com/artictoc.engawa/BlockhouseSunag…

Blockhouse Sunagawa (2)

(つづき)*1 限られた空間の中にいかにしてより多くの多様な空間、多様な文脈をつなぎ止めることができるかという魅力的な主題は、おそらく、岡崎乾二郎という作家が継続的に取り組んでいるものの一つであるが、Blockhouse Sunagawaでは、これまで記述して…

Blockhouse Sunagawa (1)

造形作家岡崎乾二郎の手になる邸宅Blockhouse Sunagawaは楽しい建築だ。ここで私が「楽しい」と言うのは、この建築物が自らをこの建築物たらしめているその根拠、目的であるだろう諸感覚の充溢を指している。たとえば、導線、窓による視覚的風景の拡がり、各…

SYNECDOCHE, NEW YORK+パウル・クレー +ミシェル・フーコー

行きがかり上、簡単にフーコーについて書いておく。私はシロウトだから、ほとんど既知の事柄の確認のようなものでしかないが、それでも、いわゆる「フルボッコ」を多少は覚悟して書く。いずれ専門家が書いてくれるだろうより充実した議論に期待しつつ、しか…

SYNECDOCHE, NEW YORK + パウル・クレー

私は以下でクレーについて、クレーの方法論は○○と混同されるべきではない、といった仕方で彼の方法論を理解しようとしているが、これは可能性を探究するための方便であって、クレー自身の制作においては、私が可能性と見なしたものと、混同されるべきではな…