2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ロザリンド・クラウス----批評の方法(20)

(つづき) 作品ないしテクストの固有性とは何か。そもそも、固有性とは何か。それは堅固さ(結合の安定)であるのか、それとも不可入性(場所の占有)であるのか。こうした問いはクラウスが展開する論説の圏域にはない。なぜならば、クラウスにとって固有性…

フェルメール展のピーテル・デ・ホーホ

「鑑賞」のコーナーを全然埋めていないが、美術館やギャラリーに足を運んではいるのだ。映画館には年に数回しか足を運べないが、ビデオでなら月に10本くらい見てる。漫画は最近では『IKKI』と黒田硫黄の『新しい朝』を読んだ。黒田硫黄、ホントにスランプだ…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(19)

(つづき) 「ポスト構造主義とパラ文学」というテクストの中には、クラウスがバルトを、デリダをどのように受容したのかについて自ら語っているくだりがある。彼女の考えでは、バルトとデリダはその企ての点で多くの違いがあり、彼らを並置できるのは「パラ…

トラバを廃止しました。 灰汁さんという方からのトラバだけはマトモでした。この方のブログはおもしろく、リンクを残そうかとも思ったのですが、現在はご本人の日記(?)も非公開にされているようなので何も残さず、トラバを消しました。

ロザリンド・クラウス----批評の方法(18)

(つづき) では、何が想像力の運動そのものであると言われるのだろうか?バルトに拠れば、この物語は二つの隠喩のセリーから成っている。一つは「円形」のセリーであり、もう一つは「液体」のセリーである。それぞれのセリーにおける語の隠喩的変換によって…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(17)

(つづき) 「Entropy」の結論部を見ておこう。なぜ、クラウスにおいてシミュラクルとエントロピーが合流するのか、なぜそれがグリーンバーグ批判たり得るのか、その理由がこの部分にある。クラウスがグリーンバーグを批判するのは次のような理由による。 「R…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(16)

(つづき) クラウスによれば、擬態とエントロピーの事例によって示された境界の崩壊、自我の抹消は、ともにシミュラクルという概念によって説明することができる。その上で、擬態とエントロピーの合流はシミュラクルを媒介にして、グリーンバーグへ向けられ…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(15)

(つづき) 擬態はエントロピーであり、カイヨワの語ることはスミッソンの語ることである。両者の間に区別はない。だが、こうした境界の抹消ないし侵犯は外見上のものであって、カイヨワの言説がスミッソンの言説に入っていくことも、その逆、スミッソンの言…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(14)

(つづき) R・クラウスによる「Entropy」というテクストの特徴は、このテクストを書くために用いられた方法論が、そのまま、テクストの内容として言述されるものでもあるという点にある。したがって、このテクストを読むことは、ロザリンド・クラウスによる…