読書

経験し得ないものを経験することについて(6)

(つづき) 合法性から倫理への転回は、「他なるもの」の到来に懸かっている。デリダに拠れば、他なるものの到来は読解(法を読むという行為)における責任と自由の発生を意味する。「応答」し、「交渉」せねばならない。さもなくばそれは責任ある読解とは言…

経験し得ないものを経験することについて(5)

(つづき) 芸術(「文学」)とは、「正義の理念」によって「応答」を試みる、或る超出の運動に対して与えられる名である。第三のキーワードである「領域の変形」とは、この超出する(「送り届ける」)運動の謂である。デリダは、芸術(「文学」)を、或るパ…

経験し得ないものを経験することについて(4)

(つづき) 第三のキーワードである「領域の変形」は、第二のキーワードであった「指向なき指向対象性」と密接な関係にあり、この第三のキーワードを考慮に入れないならば、デリダが分析する「指向なき指向対象性」の働きについての理解は不充分なものとなる…

経験し得ないものを経験することについて(3)

(つづき) ここでこれから提示しようとしている問題は、あらゆる語りおよび、あらゆる模倣や参照などを受け入れる一つの場としての‘それ’の変更不可能(書き換え不可能)な不可侵性を、どのようなものとして考えるのかという検討から生じる。よってまずは、…

経験したことのないものを経験することについて(2)

(つづき) 文学作品を読むことは限りないストレスであるとデリダが書くとき、そこでは作品はつねに乗り越えられるべきシミュラークルであり疑似餌であると位置づけられている。だが、何に向けて乗り越えられるべきなのか、「証言」に向けて、「他なるもの」…

経験したことのないものを経験することについて

なぜこの作品が重要であるのか、なぜこの作品を参照したりあるいは保存したりする必要があるのか、こうした問いを批評が回避し続けるなら、「売れ行き」や評者の主観や同時代性といった現在性にのみ基づいて「批評」が為されるなら、作品の命運は現在性を演…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(22)後

(つづき) デリダが指摘するところに拠れば、文学において個々の作品を「作品」として識別させるものは「枠」と「標題」(「指向的構造」)の差異である。たとえば、カフカの小説『審判』には『法の前に』と同じ内容を見つけることができ、つまりは「同じ内…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(22)中

(つづき) 何が「文学」を、テクスト一般から区別し、諸芸術からも区別するのか。デリダによれば、文学とは近代になって創出されたものであり、その特徴が、「どんなことでも一切を言ってよい権利が原則として保証されている」という点にある。そのことによ…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(22)前

思った以上に難しいテクストでした・・・・。長くなりそうなので、ここらへんでアップしておきます。 (つづき) カフカの『法の前に』という小説をデリダが採り上げるのは、「法の歴史と文学の歴史を一緒に考えることの必要性という仮説」においてであった…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(21)

(つづき) オリジナリティとシミュラクルを巡っての議論は、クラウスが旧態依然とした美術界を批判するために依拠するのだと宣言した「ポスト構造主義」哲学に、なるほど、確かに見出すことができる。ここで採り上げるのは、ジャック・デリダの『先入見』--…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(20)

(つづき) 作品ないしテクストの固有性とは何か。そもそも、固有性とは何か。それは堅固さ(結合の安定)であるのか、それとも不可入性(場所の占有)であるのか。こうした問いはクラウスが展開する論説の圏域にはない。なぜならば、クラウスにとって固有性…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(19)

(つづき) 「ポスト構造主義とパラ文学」というテクストの中には、クラウスがバルトを、デリダをどのように受容したのかについて自ら語っているくだりがある。彼女の考えでは、バルトとデリダはその企ての点で多くの違いがあり、彼らを並置できるのは「パラ…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(18)

(つづき) では、何が想像力の運動そのものであると言われるのだろうか?バルトに拠れば、この物語は二つの隠喩のセリーから成っている。一つは「円形」のセリーであり、もう一つは「液体」のセリーである。それぞれのセリーにおける語の隠喩的変換によって…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(17)

(つづき) 「Entropy」の結論部を見ておこう。なぜ、クラウスにおいてシミュラクルとエントロピーが合流するのか、なぜそれがグリーンバーグ批判たり得るのか、その理由がこの部分にある。クラウスがグリーンバーグを批判するのは次のような理由による。 「R…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(16)

(つづき) クラウスによれば、擬態とエントロピーの事例によって示された境界の崩壊、自我の抹消は、ともにシミュラクルという概念によって説明することができる。その上で、擬態とエントロピーの合流はシミュラクルを媒介にして、グリーンバーグへ向けられ…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(15)

(つづき) 擬態はエントロピーであり、カイヨワの語ることはスミッソンの語ることである。両者の間に区別はない。だが、こうした境界の抹消ないし侵犯は外見上のものであって、カイヨワの言説がスミッソンの言説に入っていくことも、その逆、スミッソンの言…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(14)

(つづき) R・クラウスによる「Entropy」というテクストの特徴は、このテクストを書くために用いられた方法論が、そのまま、テクストの内容として言述されるものでもあるという点にある。したがって、このテクストを読むことは、ロザリンド・クラウスによる…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(13)

(つづき) ロジェ・カイヨワの目論見は、自然の活動や生成を人間の目的論的理性から説明するのではなく、逆さまに、人間の行為を説明する理論を自然の活動や生成に求めることにある。カイヨワは問題提起として次のように書いている。「人間もそれ以外のもの…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(12)

(つづき) なぜメディウムにこだわることがアートをキッチュから防衛することになるのか。グリーンバーグの『アヴァンギャルドとキッチュ』(1935)はそのことについての論争的な分析である。『アヴァンギャルドとキッチュ』自体もまた大いに問題含みの、か…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(10)

ぐうたらブロガーは少し間を空けてしまったので話を整理する。整理しつつ、今後のクラウス読解の導入部とする。(註;これは日記のようでもありますが、かならずしも日記ではありません。初めてここを訪れた方はブログ開始一日目から通してお読みください。…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(間奏)

(つづき) 写真という物質それ自体はエントロピーの法則(物質的因果性における不可逆性)に従う。写真は色褪せたり、丸められたり、燃やされたりすることができる。だが、そこに写っている対象はそうではない。写真に写った限りでの写真の対象は、光学的写…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(9)7/12(改)

一日一万ヒットを目指すのだ。この文体で、この内容で。(つづき) 一体何が作品を作品たらしめるのか。終始記号論として、哲学として構想されたパースの論説にとってこれはそもそも問題とはならない、だが、美術批評家クラウスにとっては問題となる。たとえ…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(8)

思い起こせば、クリフォードによる批判を読解することから始めて予定では3回くらいで終了するはずだった。 (つづき) 問題となっているのは「おのずとやってくるもの」である。そもそもブルトンによる自動書記(オートマティスム)とは夢や無意識を対象と…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(7)

なぜ「写真」なのか、ロザリンド・クラウスは次のように書いている。 「シュルレアリスムの写真は、すべての写真が賦与されている現実との特別な結びつきを巧みに利用している。というのも写真は、現実的なものから取られた刻印もしくは転写だからである。そ…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(6)

(つづき) 『シュルレアリスムの写真的条件』には結論として次のように書かれている。 「1920年代のヨーロッパにおいては至るところで、現実に付加された代補的な何ものかが経験されていた。それが代補的な器具によって生み出される写真において一貫して体…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(5)

(つづき) ロザリンド・クラウスによればシュルレアリスムの美学を定義し、その全生産を統合するキーコンセプトとは、「エクリチュールへと変容させられた現前性」である。「エクリチュールへと変容させられた現前性」とは、「おのずと」でありながら「再現…

ロザリンド・クラウス----批評の方法(4)

(つづき) 『シュルレアリスムの写真的条件』のなかでロザリンド・クラウスがW・ベンヤミンに言及する数は決して多くない。*1わずかな引用と言及において、クラウスがベンヤミンのシュルレアリスム論を充分に汲み、議論の俎上に載せているとは言いがたく、二…

ロザリンド・クラウス--批評の方法(3)

(つづき) ブルトンから始まるシュルレアリスムの問題ないし「矛盾」は、「現前性」と「エクリチュール」に与えられた価値の相違に起因するような、安定した価値判断のヒエラルキーの不在という点にあるのではない。*1むしろ、ブルトンの矛盾とは、オートマ…

ロザリンド・クラウス--批評の方法2

(つづき) 『シュルレアリスムの写真的条件』から抜き出した次の箇所は、クラウスによるシュルレアリスムの定義を要約してくれる。 「もし我々がシュルレアリスムの美学を一般化しなければならないとすれば、《痙攣的な美》という概念が、その核心となるだろ…

ロザリンド・クラウス--批評の方法

『オリジナリティと反復』*1は、1973年から1983年の10年間にわたって書かれた美術批評家ロザリンド・クラウス(1940〜)の批評集である。その問題意識は明確であって、彼女は「起源」や「(作者)主体」、「天才」を前提とする「歴史主義的」批評による価値…