装飾について その1

John Ruskin

 柳宗悦民藝運動ウィリアム・モリス(1834〜1896)のアーツアンドクラフツ運動に連なるが、その柳はモリスに対して、「正しき工芸の美を知らなかった」と批判してもいたことは、前回触れた。美意識に煩わされた工芸であり、充分にゴシックでないと言って批判したわけである。柳が「ゴシック」と呼んでいるのはモリスも学んだジョン・ラスキン*1が描き出す中世の職人集団のことである。要するにここで柳は、モリスは父なるラスキンの遺志を実現し得ていないと、モリスの仕事は代用品に過ぎないと、ニセの欲望に囚われちゃって未熟だなあと、言っているわけである。言ってるようなもんである。だが、ラスキンに遡ることのできる、都市批判・資本主義批判としての、世界中の古い民芸に学び、環境風土を含めた生成のプロセスにこだわるというコンセプトにおいて、柳が賞賛した芹沢と非難したモリスとの間に区別をつけることは難しい。柳自身が明確にその区別を説明していない。だから、柳の批判はいつも、どうにも残念な世俗的コンテクストにこだわっているように思われてならないのだが、ともあれ、果たしてモリスの仕事はラスキンの誤解であったのか。民藝理論によって断ち切られたモリスの「美術」とはどのようなものであったのか。
 日用品を芸術にすべしと説いたモリスの講演から、まずはモリスの言葉を引いておこう。


I believe that art cannot be the result of external compulsion; the labour which goes to produce it is voluntary, and partly undertaken for the sake of labour itself, partly for the sake of the hope of producing something which, when done, shall give pleasure to the user of it. 私は、芸術は外部からの強制の結果ではあり得ないと信じている。芸術を産み出そうとする労働(labour)とは自発的なものである。それは労働それ自体のために為される労働でもあり、また、うまくいった暁には使い手に喜びを与えるような何かを産み出すことができるだろうという希望のための労働でもあるのだ。(筆者訳)」*2



 モリスは社会主義思想の熱心な活動家としても知られている。今日モリスの講演録として知られている文章の多くは、彼が政治活動に乗り出してからのものであり、芸術の社会的使命を論じているわけだけれども、齢四十を過ぎて目覚めた政治活動をきっかけに彼のデザインコンセプトが大きく変わったという様子はない。もともと彼のデザインはラファエル前派やラスキンらとの交流を素地としており、ラスキンは美術研究者・批評家にして初期社会主義(資本主義批判)の著名な思想家の一人である。上に引用したような彼の主張などはほとんどラスキンの言葉そのままであり、したがって、基本的に彼の政治活動は、それまでの自らの美術活動を支えたラスキンの思想が当時沸き起こったさまざまな抵抗運動においても活きるような論理を模索したものとして、解し得る。
 そうした思想上のいわば相乗りが成功したかと言えば、理論としてはチョット破綻している部分もある。イギリス初の社会主義政治団体*3において重要な地位を占めていたモリスによる講演は、しばしば美術家*4の使命がすべての労働者にとっての使命へとすり替わっていくこと、および、美と芸術と希望が同一視される傾向にある。エンゲルスはモリスを評して根深くもセンチメンタルな社会主義者と言ったらしい。このような理論上の難が、社会主義理論の黎明期にあってモリスの貢献とはいかほどのものかと議論が分かれるゆえんであろうが、 *5ただし、すべての労働者が守るべき格律として解すれば無理があるかも知れないが、モリスの主張を、「芸術家」モリスが一労働者として資本主義に抵抗すべく自らの社会的使命を考え宣誓している、という意味に受け取るならば、これはあてどなき空論であったわけではない。モリスは〈デザイナー=工芸家〉であり、〈デザイナー=工芸家〉としての立場から、労働の自由を標榜した。自然と調和した伝統技術に従い、労働者の自立と人々の生活に奉仕する仕事の充実が、理想社会の到来を準備すると、考えたわけである。そんな次第であるから、モリスを評価するにあたって彼から資本主義批判の流れを取り上げてしまったら、そもそも話題にする意味がない。モリスの仕事ははたして「煩わしき美意識」であるのかどうか、判断をおおいに左右する一点である。この点については、のちに再び詳しく取り上げる。
 批評によって美を‘産み出す’柳にとって、美は制作者にとって目的の位置を占めることはなく、柳にとっての目的(道徳的社会)を実現するための間接的手段(流通を促進するための、批評家による賞のような役割)である*6が、モリスにとって美とは新たなる完成へと向けられた意志(労働意欲)を規定する目的そのもの、である。つまり、日用品は芸術だと人々を説得することが課題なのではなく、日用品(都市や道路、耕作地を含む)を芸術として製作することが課題である。さて、ここで「外部からの強制」としてモリスがやり玉に挙げているのは、自然への知識や伝統的技芸の合理性などに従うことを指しているのではなく、はっきりと、市場からの要請・強制のことを指している。資本主義下においては原理的に、あらゆる商品の使用価値、あらゆる福利厚生は、資本を利する限りで認められる。しばしば利潤は、資本主義が自ら生みだすことのできない活力ないし資源(=自然、動物、人間、国家・共同体間の落差が生む位置エネルギーetc)への「支払う義務」を怠る*7ことによって、および、事物の生成に必要なコスト(時間的にも経済的にも)をねじ曲げることによって、生みだされる。モリスは、資本がそうした暴力を労働者に、消費者や商品に、自然の生態や環境に振るう限りにおいて、これを「外部からの強制」と呼んでいるわけである。*8来るべき社会を望み得るだけの精神を涵養することが、労働においても制作物においても、デザイン工芸(「美術」)に[もまた]託された使命である。
 柳は批評家であり、批評家としての立場から、宗教家としての独自の判断基準に基づいて、評価に値しないと見なされてきたような事物(工芸・民藝≠美術)を評価するという仕事に重点を置いた。美そのものを価値転換することによって道徳社会の到来を目指していたわけである。「無意識」(「自然」)が生産したものであるからこそ、批判的な価値がある。一理ある。愚かな人間理性ではなく、自然が思考するのである。*9だが、民藝の「無名」の作者を「無意識」と同一視し、「無意識」が生産するのだと考えた柳には、単一の「用」に還元されない作者(労働者)の自由(欲望、無意識)という観点が欠けており、ゆえに、「民衆」(ないし労働者)がみずから社会を形成してゆくプロセス、あるいは抵抗を含む社会からの逸脱という出来事を、把握することができない。(これは彼の芸術家ぎらいとも対応しており、ゆえに「美術」ぎらいとも対応している。)自然と調和し、市場経済の外部へのコストも含めた生活全体に位置づけられるものとしての日用品を生みだすことが「無意識」と呼ばれるならば、モリスがやろうとしたことは抵抗としての無意識‘を’生産することであったと言えるかも知れない。(つづく)

*1:John Ruskin, 1819〜 1900

*2:『The Aim of Art  芸術の目的』http://www.gutenberg.org/wiki/Main_Page 邦訳は『民衆の芸術』などに所収 『民衆の芸術』中橋一夫訳 岩波文庫

*3:「民主連盟」は当時のイギリス国内唯一の社会主義組織。1881年結成。モリスの参加は83〜84年まで。立法上の改革よりも民衆の啓発を重視するモリスの理想主義は連盟からの脱退、エリノア・マルクス(Jenny Julia Eleanor "Tussy" Marx 1855-1898 社会主義活動家。カール・マルクスの三女。)らとの「社会主義同盟」の設立につながる。ただし、講演録などから明らかであるが、モリスは国家や企業の‘支払う義務’を強く求めており、労働者の福利厚生についても、これを評価していないわけではない。念のため。

*4:モリスにとって美術と芸術との間に違いはない

*5:モリスがデザイナーとして活動した19世紀当時のロンドンは、帝国主義産業革命を原因とする深刻な社会問題があちらこちらで生じている、そんな状況であった。こうしたなか、裕福な中産階級の家庭に育ち大卒のインテリ文学青年であったモリスは、バルカン半島における紛争(露土戦争)への抗議活動を皮切りに熱心な社会主義思想家へと変貌、後半生をつうじて、労働争議や環境問題、都市と農村の格差、伝統文化の保護、劣悪な商品への批判、植民地主義への批判といった諸々の闘争にかかわってゆく。バーン・ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones 1833 ~ 1898)の紹介による学生グループとの討議、ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti 1828~1882)を介しての植民地主義批判、ミル(John Stuart Mill 1806〜 1873)とマルクス(Karl Heinrich Marx 1818〜 1883) の読書などを経て社会主義思想への信念を固めていったようである。本人は経済理論がよくわからなかったと自嘲気味に話してはいるものの、『資本論 第一巻』(仏語版)は読み込まれすぎてページが抜け落ちるほどだったという証言が残っている。文学者としてすでに名声の高かったモリスによる運動への参加は歓迎され、弁が立ったこともあって、関わった組織ではつねにコアな存在であった。ただし、思想家としてのモリスに対する評価は一般に決して高いとは言えない。

*6:美と技術に関する柳の思考は、ハイデガーMartin Heidegger 1889〜1976)の技術論に少し似たところがある。興味のある方は以下の記事を参照されたい。関連記事 http://d.hatena.ne.jp/argfm/20090831 

*7:ちなみに、ここで言う「支払う義務」とは、法権力などによって強制的に発生する義務のことではなく、自分のものでない力を借りて恩恵を受けているがゆえの「支払う義務」、という意味である。

*8:モリスが機械仕事を批判するのはこの意味においてである。彼は機械による生産を必ずしも否定してはいない。事物に宿る「魂」を評価するモリスは、機械を生みだした知性をも矛盾なく評価する。たとえば紙を機械で作ることも、品質および労働環境、自然環境などの条件さえ満たすものであるなら認めている。モリスの怒りの矛先は、機械そのものへ向けられていると言うよりはむしろ、当時の製造業者―-あるいは今日の一部製造業者&経済人&政治家--らが抱いていたような、機械技術の進歩が文明の進歩であるといった観念に安住することへと、そうした安住が生む環境破壊や品質の低下、労働者の搾取へと、向けられている。

*9:だが、民族と風土の固有性が関心事である柳の‘批評’にはつねに、何をもって代表と認めているのかという問題がつきまとう。ひいては、なぜそれが代表として認められ得るのか、誰が認めるのかという問題がつきまとう。柳銀行の発行する「美」そのものの信用はどのように保証されるのか。なぜ土管や道路、排水溝、カツラや下着は選ばれないのか。