2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ロザリンド・クラウス--批評の方法

『オリジナリティと反復』*1は、1973年から1983年の10年間にわたって書かれた美術批評家ロザリンド・クラウス(1940〜)の批評集である。その問題意識は明確であって、彼女は「起源」や「(作者)主体」、「天才」を前提とする「歴史主義的」批評による価値…

パレルゴン(最終回)

(つづき) 争点とされている件の絵画において、ゴッホの描いた靴は対になっていない。それは「一足」をなしておらず、両方とも「左足に見える」。つま先の形態や甲のヴォリュームに注目すると、二つの靴は型も違うもののようでさえある。デリダがあえてこの…

パレルゴン(21)

(つづき) 作品において表象された靴が有用性を奪われているということ、その理由が絵画であることにおいてであろうと使用のシーニュが不在であることにおいてであろうと、実際的な使用からは切断されているということ、そうした一連の囲い込み(「立てるこ…

1000アクセス突破御礼

1000アクセスを記録したら、一度読んで下さっている皆様に御礼を言いたいと思っておりました。 ありがとうございます。ほんとうに、ありがとうございます。 一度アクセスゼロの日があってね、ほんっと、そんときばかりはやめようかと思ったんすけど、がんば…

パレルゴン(20)

(つづき) ハイデガーによれば、作品は一つの道具がなんであるかを図解するためには役に立たない。作品においては個々の存在するものの再現が問題なのではなく、様々な物の一般的な本質の再現が問題なのである。作品においてのみ、形作られた質料ではない「…

パレルゴン(19)

(つづき) 「あるがまま」とは何か。先に三つの思索様式を斥けたハイデガーは、そうした後、「あるがまま」を思索することの一つの事例を自ら示す。どのようにして「あるがまま」を目指して思索するか、「モノ」は難しいから道具から考えようというのが、ハ…

パレルゴン(18)

(つづき) モノとは何か、その答えを明らかにするために、ハイデガーはモノを省察する際に妨げとなる三つの「思索様式」を批判し、これを斥ける。 その一つめは、物の把握の仕方を物そのものの構造へと転用することである。この「思索様式」においては、そ…

パレルゴン(17)

(つづき) 何はともあれ、まずは『芸術作品の根源』を読むことから始めねばならない。『返却』〔もろもろの復元〕を読むにあたり、デリダの語っている部分と彼が引用している部分との区別さえつかないような‘読解’に陥る危険を回避するためである。そしてま…