ロザリンド・クラウス--批評の方法

 『オリジナリティと反復』*1は、1973年から1983年の10年間にわたって書かれた美術批評家ロザリンド・クラウス(1940〜)の批評集である。その問題意識は明確であって、彼女は「起源」や「(作者)主体」、「天才」を前提とする「歴史主義的」批評による価値判断に代えて、批評が用いる「方法論」にこそ価値を見出すべきだと訴える。「何故なら、価値ある発言と考えられる問題提起----「ここにおいて興味深いのは、パスティッシュの操作である」あるいは「ピカソのコラージュの最も優れた点は、不在の表現ということにある」----は、事実、ある所与の方法が、問うのを可能にした、もしくは問うことを思いつかせた結果、生まれたものだからである。」と、クラウスは序文に書いている。彼女が「方法論」と呼ぶものは、ここでは主に構造主義および「ポスト構造主義」によって生み出された諸理論のことを指している。「構造主義は、例えば、異質な統一体間の関係について思考するのを可能にすることによって、様式の一貫性や形式の整合性といった概念からの解放を認可した。それらの概念は、私見によれば、批評家に現代の生産の意味を取り損ねさせ、あるいは近代美術の美術史家に、より以前の現象との折り合いをつけさせなかったものなのだ。」
 だが、誤解を防ぐために予め批判を述べておくことにするが、クラウスの「方法論」主義には二つの問題が指摘できる。その一つは、構造主義がそうであったように、ある批評上の「方法論」を作品に適用することが妥当であるという判断は、なるほど批評家の主観という有限性に基づくのではないにせよ、しかし、扱う対象の有限性を、無限に行われる代替作業を可能にする有限で閉じた「統一体」を前提としている。したがって、個々の作品の差異が重大なものであったとしてもそれらはすべて「方法論」によっては扱うことのできない外的な原因として処理されるほかない。そうした外部そのものを評価する術を、またこうした‘外部’の存在を批判的に機能させる術を、クラウスの「方法論」主義は持ち合わせてはいない。二つめは、他の諸学問(哲学、科学、数学・・)に起源を持つ概念や図式を、それ自体を批判検討することなしに、作品解読のための便利なツールとして用いてしまう安易さにある。そのことゆえに、ロザリンド・クラウスは美術批評をつねに他の学問よりもマイナーな次元に置き続けることになるように思うのだが、ともあれ、クラウスの批評は彼女が依拠する構造主義ベンヤミンの諸批評が抱えていた矛盾ないし困難ないし曖昧さを、そのまま引き写しにして再生産しているように思われる。(美術批評家や美術史家たちは、しばしば哲学者の素朴な芸術批評を嗤うけれども、同じことは彼ら--私たち--についてもあてはまるのだ。)後に見るように、「方法論」重視という姿勢は、『シュルレアリスムの写真的条件』および『指標論1,2』などに顕著であり、これらの評論は彼女によって提出された批評の一つの規範であると言える。彼女による「方法論」主義に対する二つの批判は、したがって、それらの諸論文を読解する過程で、より具体的な形で明らかになるだろう。そこにおいて、彼女に問うことができなかったもの、彼女が問わずにおいたものを検討することができるだろう。そこから、「方法論」主義の別の展開が望めるかも知れない。(つづく)

*1:原著1985 小西信之訳 リブロポート1994