Blockhouse Sunagawa (2)

argfm2010-02-02

(つづき)*1


 限られた空間の中にいかにしてより多くの多様な空間、多様な文脈をつなぎ止めることができるかという魅力的な主題は、おそらく、岡崎乾二郎という作家が継続的に取り組んでいるものの一つであるが、Blockhouse Sunagawaでは、これまで記述してきたようなオーダーにもとづくブロック化の他にも、異なった仕方で分節を生むいくつかのオーダーがある。建築に疎い私に観察できた(あるいは知ることのできた)限りで挙げておくと、(A)この邸宅の建つ場所が持つ意味によるそれであり、(B)この邸宅の居住者というコンテクストによるそれであり、(C)生活における様々な時間のタイプをそれとして互いに区別するような場の分節化のためのそれである。これらが、この家を特徴付ける三つの異なる顔であり、互いが互いを規定し合うようにして結びつけられている。

 
A 今日では自衛隊立川駐屯地、および国営昭和記念公園へと変貌している場所に、かつては在日アメリカ軍の基地があった。1955年(昭和30年)、アメリカ軍の基地拡張(滑走路延長)に反対する住民らが地域闘争を起こすも、この運動の際、基地内に立ち入ったデモ隊7名が起訴される。米軍の国内駐留を不合理、違憲とした一審判決は被告無罪を言い渡すが、検察は最高裁へと「跳躍上告」。最高裁において、地裁への差し戻しが決定され、1963年、被告有罪が言い渡された。最高裁の判決に対し、今日では、アメリカ合衆国による圧力ないし介入のあったことが知られている。(「砂川事件」、「砂川紛争」)
 Blockhouse Sunagawaは、このかつての米軍の滑走路(今日では自衛隊の滑走路)の延長線上に位置する。この家の先代の所有者が砂川紛争における闘争の意義に賛同してこの位置に家を購入したのだという。進入する米軍機の真正面に立ちふさがる塔、それがこの家の歴史的な意味であり、場所の記憶である。このたびの改築に当たり、Blockhouse Sunagawaはこうした建築物(場所)の持つ意味ないし意志を受け継ぐよう構成されている。家屋外観において、色彩による分節においても形態による分節においても、直方体に屹立するブロックが見て取れるのは、そのためである。(反対側からは見えない。)この直方体のブロック上部には、屋上庭園が予定されているらしい。なるほど、夜になると家屋全体が昭和30年代の光量になるというのは、審美的な選択というばかりではないようである。


B レコードコレクターである施主のために、独立したリスニングルームがある。(船で喩えるならさしづめ機関室だろうか。)この部屋は先に言及した書斎とドア一つ隔ててつながっており、リスニングルームには表玄関とは別に入り口が設けられている。つまり、書斎-リスニングルームが作る空間は、ボリュームとしても導線としても、そして採光による明るさにおいても(むろん音量としても)、生活空間とは一線を画している。


C 主に水回りやダイニングに敷き詰められたタイル*2に見られる表情の違いは、行動のタイプによって分節されるそれぞれの空間を切り分けている。また、たとえば仏壇の収められる場所も、ニス塗りのわずかな違いから生じる色彩によって、一つの独立した単位を与えられている。(開口部、すなわち扉部分がそれとして強調されている。)これは家屋内の他の場所でも見かける木材で作られているため室内空間に馴染んでいるが、しかし、この分節化によって、地に溶け込むというよりは他とは独立した一つの場所として、認識される。(点景のように。)
 

 ちなみに、タイルであれニス塗りであれ、一般に市場で流通するカラー(コードの共有によって指定され、安定的に生産される)を採用することなく、それぞれ生産過程そのものから考察し直した独自の技法によって作られたものであるらしい。私は作者からのレクチャーを受けたが、しかしレクチャーが無くとも、こうした工夫は、確かに、我々が普段見かける平凡な生産物とは異なるものとして、[何かが違うという]質の違いとして感覚される。(生産過程の違いそのものを具体的に認識・記述するためには専門的な知識が必要になるとしても。)つまり、ゴージャスである。ゴージャスであるとは、高価な素材を数え切れないほどちりばめることではなく、規定的な目的の超出すなわち、[質の違いとしての]エフェクトおよび、エフェクトを生み出すための生産過程における技術的考察、ひらめきの謂である。(だから、ここでも私はやはり、これは楽しい建築だと、少なくともそのディテールと総体において、楽しい建築として手を尽くされた住居であると言いたい。こんな住まいなら、ぜひ住んでみたいと、私は思う。)


 以上が私に見ることができた限りでの、Blockhouse Sunagawaの観察記録である。私は建築に詳しくないから用語の誤りや概念の不足が多々あることと思うが、誤りについては批判を待ち、不足についてはご容赦を願う。私邸をレポートするというのは私にとって初めての経験であるが、オープンハウスの機会を与えてくださった施主の方に感謝したい。私の書いたものが誰かを無用に傷つけるものでないことを願うばかりである。(おわり)

*1:貼付画像はウィキペディアより ボナールの作品

*2:このうちのいくつかを、現在東京都現代美術館で開催されている岡崎の展示で見ることができる。