Blockhouse Sunagawa (1)

argfm2010-02-01

 造形作家岡崎乾二郎の手になる邸宅Blockhouse Sunagawaは楽しい建築だ。ここで私が「楽しい」と言うのは、この建築物が自らをこの建築物たらしめているその根拠、目的であるだろう諸感覚の充溢を指している。たとえば、導線、窓による視覚的風景の拡がり、各部屋における身体的に感じ取られる容量の差異などを用いた空間構成は、その総体として、[私のパートナーの表現を借りれば]まるで航海する船のように感じられる。身体がその移動において、ということはこの建築物を使用する時間の流れにおいて(いわば物語として)、諸場面の配置の総体として感じ取る時間が、航海中の船のそれを思わせる、ということである。
 ところで、「船」と言ったが、もちろん船の再現が目指されているわけでもなければ、張りぼてのイメージが必要とされているわけでもない。その意味では、確かに船を思わせはするがしかし、どこにもない船である。にもかかわらず、それは人々に同様の感覚を与える。(「船」と言われれば、なるほどと思う。)つまり、この感覚は反復可能なものとして明晰に構成されている。したがって、反復可能なものとして構成された諸々の諸関係さえ認識できれば(あるいは感覚することができれば)、「船」という語もその形容の妥当性への同意も必要ではない。楽しさは、この建築物を構成している様々な質、空間の構成、経験される時間としての総体そのものとしてある。


 空間の記述に移ろう。二階建ての一軒家であるBlockhouse Sunagawaの構成は、複数のブロックから成っている。それぞれのブロックは機能的なスペース(書斎や寝室など)とフリースペース(リビングや食卓など)として振り分けられるが、機能的なスペースは必要最小限の広さ(=狭さ)を、それ以外のスペースは高さと拡がりを与えられている。つまり、狭くて(かつ便利な)閉じた空間と、広くて高くて開放的な空間という異質な二種類の空間がある。こうした区分は、岡崎によれば、限られた立地スペース(実定法的にも、物理的にも所与として与えられたルール)の中でいかにして広さを獲得するかという問題設定から導き出された工夫である。機能的な空間から余分な(使われない)容量を取り去り、移し替えることでスペースを生かし、空間の拡がりを確保するというアイデア。さらに、これら機能的なオーダーによって定義されるブロックが、立地空間として与えられたスペースの中で再度複数のブロックへと振り分け、まとめられることで、それぞれ他とは区別される階層を与えられる。つまり、これらのまとまりとしてのブロックはそれぞれ独自の基底面を持っている。(図1)


[%7C](図1)


 家屋内部に複数の層が作り出され、容量的にも視覚的にも空間の拡がりが生みだされる。ゆえに、二階建ての家屋であるにもかかわらず、空間の経験としては、それ以上の階層があるかのような広さと密度が感じられる。
 容量ばかりではなく、光および各室の連続性と分断によっても、狭さと広さの感覚は構成されている。たとえば、書斎や寝室は採光を少なめに、それぞれの壁のクロスも暗色系かグレー系でまとめられている。書斎はデスクの前に人の肩幅ほどの縦に細長い、机上を照らすには充分な採光の得られる窓があり、一方でこれにより天井回りや室内の隅が比較的暗くなるため、光量の差によって生まれる或る種の遠近感がある。(一見すると牢屋のようでもあり、告解室のようでもある。ただし、四方壁面を天井まで届く書架・書物の喧噪で覆われている。物書きにとって書斎とはまさにそうしたものなのか?ちなみに、岡崎の友人である施主の方は、物書きらしい。)夜はどうなるのか、書斎内のライティングはどうであったか、これについては確認するのを忘れてしまった。
 寝室の採光窓は茶室の躙り口{にじりぐち}のように室内下方に小さく開けられたものがひとつ、別の壁面に壁の高さの半分ほどを占める(全面でない)窓がひとつ、それぞれある。ここも採光による室内の光量は控えめであるが、ただし、テラスへと抜ける引き戸(扉だったか?)を開けるとかなり明るくなる。燭台のような手のひらサイズの直方体のライトが壁面に四つ取り付けられており、灯りをつけると、ロウソクをともしたかのように見える。(全体に、室内のライティングには複数の間接光が多用されている。岡崎によれば、夜になると家屋全体が昭和30年代くらいの落ち着いた光量になるらしい。)一方、リビングとダイニングはめいっぱい採光が取られ、部屋の隅々まで自然光で満たされる。天井はどちらもかなり高い。二階リビングのクロスは天井まで白系統が用いられ、陽だまりの場所になっている。階段によって仕切られているためリビングからテラスへと直接抜けることはできないが、これらは段差を経て、視覚的および光や風の流れにおいて連続しており、開放感を生んでいる(図2)。



(図2)



 すこしの段差およびあちら(テラス)とこちら(リビング)という区分が、リビングを能舞台の観客席のようにも感じさせる。(段差なしに外と内を連続させたテラスは月見台のようでもある。)二階テラスに出ると航海する客船のデッキに立ったような気がするのは、眼前に開ける広々とした空間(農園が広がっている)と併せ、多様な質の違いとしての狭さと広さを組み合わせたこうした工夫が生む時間の経験ゆえである。(つづく)




2010年2/5記 
・ブログ『野良犬の建築彷徨記』で当ブログをご紹介くださいました。建築の外観などを見ることができます。こちらの記事も併せてどうぞ。http://kenchiku-blog.blogspot.com/2010/02/blockhouse-sunagawa.html