近江

 大阪の大槻能楽堂にて、『大阪観世九皐会百周年特別公演』を鑑賞。曲目の一つは『鸚鵡小町』。私は語るほど深く能とつきあってきたわけではないから、深く触れることはできないが、素晴らしい舞台であったと思う。*1素人門外漢の興味から言わせてもらえるなら、大鼓と小鼓による寂寥とした空間の描出に惹かれた。いや、「寂寥」と書き付けて、しかしそれだけではないと感じられるところが、惹かれた理由かも知れない。ありがちな表現で真意が伝わるかどうか心許ないけれど。そのままで、まるごと耳を傾けねばならないと思わせる、終始はりつめた緊張感のある舞台だった。百歳の老女小野小町長山禮三郎の演技には感心した。謡は草書と楷書のアポリアであると、同行者に教わる。
 折口信夫が『鸚鵡小町』について書いた文章があり、このたび観劇を経て『鸚鵡小町』に興味を持ったため一読してはみたものの、これは私の興味に応えるものではなかった。尤も、折口のエッセイは批評ではない、『鸚鵡小町』成立についての研究なのだから、折口が悪いわけではまったくない。研究という点からすれば、折口のエッセイは物語の矛盾を突いてテクスト成立の背景を探るという、知的興味をそそられる小品である。とは言え、これは良い舞台を堪能した後に読むものではない。
 夜はせっかく大阪まで来たのだからと、中心地の下梅田まで出る。商店街の入り口付近に堂々と「大人のおもちゃ」の店があり、驚く。パチンコ屋多し。公共機関のひらがなが目立つ。これがこのマチの複雑な歴史、「命運」であり「もたらし」なのだろうか、たぶん、なのだろう。勉強しよう(←本当か?)。お好み焼き屋に入り、宅配ピザのラージサイズくらいあるでかいお好み焼きを注文、3人がかりで平らげる。大阪弁に触れる。
 翌朝早くに大阪を発ち、大津へ。琵琶湖を眺めてから、三井寺を見て回り、途中三井の晩鐘をついたりしながら、隣にある円満院内の大津絵美術館に立ち寄る。大津絵にも上手い下手はあるのだと再確認する。次の目的地へと移動する。


 途中、京都近郊の駅で列車待ちをしているところ、地元のおじさん(清掃員)に声をかけられ、しばし話し込む。京都に高層建築が建てられなくなったために、最近はこちらの方に住宅が増えているのだとか。家賃は京都の半分くらいなのだとか。ご自身は駅前の38階建ての立派なマンションに住んでおられるのだとか。京都弁に触れることしばし。
 日が沈む前に宿泊地の菅浦へ到着。ここは、知る人ぞ知る隠れ里である。なぜ知る人ぞ知ると言われているのかは、知る人ぞ知る。私は知らなかった人であるが、今や知る人となったのである。夕暮れに菅浦の集落を散策するが、家々が軒を接するかのように立ち並んでいる中、あまり夕暮れ時にずかずかと歩き回るのもプライバシーの侵害のように感ぜられ、10〜15分ほどで立ち去る。東京に帰ってから菅浦について書かれた本を数冊、図書館で注文。『中世の惣村と文書』(田中克行著)と、『中世 村の歴史語り―湖国「共和国」の形成史』(蔵持重裕著)など。本の届くのが楽しみである。宿舎の仲居さんに近江言葉の発音を教えてもらう。ひさしぶりに、かなり酔っぱらう。


 翌日、晴れ渡った空の下、琵琶湖にカヤックで出る。生まれて初めてのカヤック、水面すれすれを滑るように進む感覚、湖から眺める集落、楽しすぎる。(菅浦へ行かれるならぜひカヤック体験をお勧めする。カヤック体験の場所や手続きについては、ネットで検索すればすぐお分かりになることと思う。ちなみに、普段運動不足の人間が楽しみすぎると筋肉痛になる。)カヤック講師は地元菅浦出身の、というか、宿泊先のなんでもできるスーパー支配人であるが、当然のごとく地元の事情や歴史に実に詳しく、湖の上でいろいろと教えてくれる。実に面白い、一聴の価値がある。宿のロビーに雑誌『湖国と文化』を置いたのは支配人か?私の読んだ号は近江商人特集。「三方よし」。
 

 日灼けした筋肉痛の体を奮い立たせ、午後は竹生島へ。島へ向かうボートの中で、富山から来たという人なつこいご夫婦と一緒になる。富山からの高速は空いているらしい。やたらカネのかかる竹生島をあまりカネをかけることなく拝観し、参拝し、体験しながら、後にする。長浜へ向かう。手の届かない値段であった海洋堂の「キンゴジ」を子供の頃はひどく欲しかったものだが、そういったおもちゃを買える者への羨望もあったと思うが、今は全く興味が持てなくなってしまった海洋堂の、海洋堂博物館を、なぜか訪れる。恐竜や動物なら田宮の方が上だ、と値踏みする。入館記念の食玩とガチャポンでゲットしたテディーベアーを手に、長浜経由で米原へ、新幹線に乗って夜半、帰京。

*1:以下のサイトなど、面白い。『粟谷能の会』http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0002.html