パレルゴン(の註)

判断力批判第一序論」より


 およそ心の諸能力は、次の三個の能力に還元される、即ち
  認識能力
  快・不快の感情
  欲求能力
 これらの心的能力が使用される場合には、それぞれその根底に必ずしも認識ではないにせよ(概念を持たないような直観、即ち純粋直観もしくは経験的直観もあり得るから)、しかし常に認識能力が存する。それだから原理に従う認識能力が問題となる限り、下掲の上級認識能力が心的能力一般とそれぞれ共在することになる、即ち
  認識能力    ----悟性
  快・不快の感情 ----判断力
  欲求能力    ----理性
 そこで悟性は認識能力に対して、また判断力は快・不快の感情に対してのみ、更にまた理性は欲求能力に対してだけ、それぞれ独自のア・プリオリな原理を含むことになる。そしてこれらの形式的原理が、それぞれ客観的必然性、或いは主観的必然性、或いはまた主観的に必然的であることによって同時に客観的妥当性をもつような必然性を確立するのである。するとこれらの[ア・プリオリな]原理は、それぞれの原理と共在するところの上級[認識]能力を介して、おのおのの原理に対応する心的能力を規定することになる、即ち
  認識能力    ----悟性  ----合法則性
  快・不快の感情 ----判断力 ----合目的性
  欲求能力    ----理性  ----同時に法則であるような合目的性(責務)
 最後に、形式を可能ならしめる上記のア・プリオリな根拠[原理]には、それぞれの根拠に基づく所産として、最下段に記した形式が加わるのである、即ち
  心的能力 上級認識能力 ア・プリオリな原理 所産
  認識能力    --悟性  --合法則性                --自然
  快・不快の感情 --判断力 --合目的性                --技術
  欲求能力    --理性  --同時に法則であるような合目的性(責務) --道徳
 それだから自然はその合法則性を、認識能力としての悟性のア・プリオリな原理の上に確立する。また技術はその合目的性において、快・不快の感情に関し判断力に随順する。更にまた道徳(自由の所産としての)は、合目的性の或る種の形式----換言すれば、欲求能力に関する理性の規定原理としての普遍的法則たる資格を具えているような形式の理念に従っている。このようにしてア・プリオリな原理から生じるところの判断が、それぞれ理論的判断、美学的判断および実践的判断となるのである。