すもも画報 in 台湾 その2

argfm2011-10-07

 東京に残してきた現在入院中の私の父*1は、大酒飲みである。彼が夜中の3時より前に帰宅したことはない。酔っぱらうと辺り構わず「消えろ、消えちまえ、小さなロウソクよ!」とかヤリ出す。子供心に、コワイし、恥ずかしかったことを思い出す。酒が原因で身体をこわしたのだと私は思っている。そのせいか、私は酒は嫌いではないが、酒に耽溺するヒトの気持ちが分からない。しかし、そんな私を号泣させるこの曲。↓



 『白米酒』(作者不詳、部落歌謡)*2


White rice wine,I love you,no one can love you more than I
I’m obsessede with you, I’m crazy for you, you are so charming


Drink it up, drink it up, I don’t mind, no one can stop me
A thousand glasses, then a thousand more, drink it up


 教会音楽入ってますね。映像での演出ではそのことを臭わせている。ここではゴスペルっぽく歌ってもいる。が、一方で歌詞は全く教会的ではない。酒を賛美してどうする?あまつさえ、おまえが酒と呼んでいるものは本当に、ほ ん と う に 「酒」なのか、と勘ぐりたくなるほどの入れ込みようだ。千杯、万杯、もう一杯って・・・(ノ▽〃)。話が逸れた。私は酒飲みと和解したのであった。台湾と日本ではキリスト教の伝来はほぼ同じ時期だったようだが、キリスト教が禁止されなかった極東での音楽の運命だと考えると、こんなところがパラレルワールド。歌はサミンガの実妹、家々(ジャージャー Jia-Jia)。ハモっているハオエンとはユニットを組んで受賞したこともあるらしい。話すことを覚えるより先にすでに歌っていたといういかにもなプロフィールを書き込まれる余地のない程に彼女のキャリアが充実する日は来るのか。幼少時を過ごした台東の思い出をもとに曲を出している。若手人気歌手の一人。ちなみに、チリチリパーマの放浪詩人パナイが歌うとこんな感じ↓。



 今回の舞台は前年と異なり野外ステージだったが、台風にもかかわらず、舞台の最中はラッキーにもほとんど降られなかった。ちなみに野外ステージでアーティストみな思いっきり声を張るせいか、コブシの効きようはCD以上、はんぱでない。アンコールで大盛り上がりしたのがこの曲↓。



 観客総立ち。もちろん、我々も立ち上がる。踊り出す人たちアリ。アンコールでソロを努めている歌手の一人が、陳建年(チェン・ジェンニン Pau-Dull)。後から歌ってるほうです。サミンガ=ジャージャー姉妹のおじさん*3で2000年の金曲獎最優秀國語男性歌手賞と最優秀作曲賞を、大方の予想を覆して受賞、だそうである。台湾原住民音楽の継承において主要な人物の一人とされ、今回の舞台でも多くの曲が歌われた作曲家陸森寶(ルー・センバオ Lu Sen-bao 日本名;森寶一郎)を祖父に持つ。普段は警察官であり、マイペースで仕事(音楽の)をしているのだとか。劇中では素朴な小芝居を披露しつつも警察官役で登場し、観客に大受け。ここで先にソロを歌っているのがさっきも出てきた呉旲恩(ウ・ハオエン WU Hao-en)。政治運動をしていたグループ(原音社)が発展して結成されたAm家族樂團のメンバーとして参加しているようである。プユマ族伝統歌謡『南王系之歌』でノリノリのハオエン↓。



もういっちょハオエン。『トカゲのブルース』(作詞作曲 ハオエン)(50秒あたりから)↓。




 チェン・ジェンニンが歌う『美麗的稲穂』(作詞作曲 ルー・センバオ)↓。



 映像は、映画の中で主人公がかき集めてきた各部落の人々が列車で音楽堂へと向かうシーンで終わる。映像が終わったとたん、彼らがスクリーンを飛び出し、音楽堂へと一斉に「到着」するという、感動のシーン。紹介した映像とは違い、屋外でのコンサートだった今回は舞台脇のセットから巨大クラッカーの爆音と共に登場し、観客の間を歩いて入場。子どもたちの笑顔がかわいい。↓。



 アンコール、アンコールを繰り返して観客席がなんだか沸かしすぎた鍋のようにぐにゃぐにゃグダグダになったところで終了、解散。街を見るため、会場だった中正記念堂広場からホテルまで30分ほど歩いて帰る。道すがら、小腹を満たすためマックに入るも言葉が通じず。ダブルバーガーを注文してトリプルチーズバーガーを得る。前回のエントリーで書いた足裏マッサージは、実はこの日に行ったものだったようだ。(私の記憶違い。)記事には書いていないが、いろんなことがいっぱいあったのだ。忘れて当然だ。


 10月2日。まだ台風。ツアー二日目。集合場所の中正記念堂へと向かうタクシーがデンジャラス。まくるあおるで赤信号も無視。モーターボートかとツッコミたくなるくらい上下に激しく揺れ、横方向へのGがすさまじい。ともあれ、ボッタクリも特殊技術料金の上乗せもなく、支払い額は通常通りであった。雨の中、無事集合場所に到着。今日は不老部落(Bulau bulau)なるところへ連れて行ってもらうのだ。(つづく)

*1:9月29日付の東京新聞朝刊‘くらし’面に、「医療ケア 休めぬ家族―短期入所施設の受け皿少なく」との見出しで記事が載っている。現在病に伏せっている私の父も、この記事に書かれているケースに相当する。この記事が指摘している問題は、痰の吸引や胃瘻管理など、有資格の医療関係者による頻繁な介護を必要とする患者が、にもかかわらず病院に置いてもらえない・入院を継続できないという、今日現在の医療事情である。記事では原因の分析にまで踏み込んではいないが、こうした問題は、後期高齢者医療制度や、重度の要介護高齢者向け施設が未だ高額であること(20〜40万/月)などに原因がある。

*2:*漢字が表示されないので英訳詞のみにしました。DVD『『很久没有敬我了你』より。

*3:叔父か伯父かの調べは付いていない。どなたかご存知でしたらご教示下さい。

すもも画報 in 台湾

argfm2011-10-06

 9月30日。台風と共に夕暮れ時の台北へ到着し、ホテルにトランクを預けて市内を散策する。日本とよく似ているけれどちょっとずつ何かが違う、どこか懐かしいが郷愁に浸りきることもできない、そんなパラレルワールドみたいな台湾の町並みを実見するのはこれが初めて。ビルやマンションは日本と比べてだいぶディテールが違う。ベランダがない。マンションの屋上には家が建っている。*1政策なのか、台北市内ではパチンコ屋や風俗店をまったく見かけない。(映画『非情城市』でのギャンブルシーンが印象に強く残っていたので、ちょっと意外。まあ、あれはヤクザの話ですけどね。)老若男女問わずスクーター乗りが多く、犬や子どもを乗っけてほとんどママチャリ状態の輩も含め、赤信号の前では常に数十台のスクーターが信号待ちしている。なぜあえて原チャなのか、何も知らぬまま連行されてきた外国人旅行者である私が知るはずもない。信号が変わるまでの時間はカウントダウン表示され、便利である。
 台北市の飲食店は夜遅くまで開いており、ガイドブックにも載っているヨーロッパベース多国籍料理のレストランで遅い夕食を摂る。スタッフがアイデアを出し合って作る創作料理だそうだが、客への対応も気配り充分かつフレンドリーで、広々としたスペースでゆったりと食事でき、味も店内のインテリアも最高だ。ついでに値段も最高だが、とは言え、東京でフレンチを食べるのとほとんど変わらない。バベットの晩餐会で高揚した気分のまま、11時を回ってホテル近くの24時間足裏マッサージに強行突入。日本のマッサージに比べると格段に安い。二人してイタイイタイとうめき声を上げるも腕の太さバット3本分くらいあるマッサージのおっさんはニヤニヤ笑いを浮かべてご満悦の様子。足裏マッサージはこの後何度か訪れたが、どの店でも、男女問わずどのマッサージ師でも、イタイイタイと言うと、なぜか嬉しそうにする。
 
 10月1日。台風。一日中、雨。ここからが本番。パートナーが申し込んでくれたツアーに参加する。ツアーの企画者は台湾紹介本『奇怪ねー台湾』*2『台湾ニイハオノート』*3などで有名な青木由香さん。*4(私は今回のツアーに参加するまで彼女の著作を知らなかったが、どの本も面白い。)あちらこちらと巡ったのち、この日の目玉(私にとって)は、ミュージカル『很久没有敬我了你*5』だ。英訳タイトルはYou have not saluted for a long time。和文のチラシに訳が載っていないため自信はないが敢えて訳せば、「ずいぶんとひさしぶりだな」、とか、「長いことご無沙汰してしまいまして・・」とか、そんな感じなのだろうか。(違っていたら指摘してください。)ちなみに、主催者側は「ミュージカル」とは謳っていない、私が勝手にそう呼んでいるだけである。チラシには、「映画・音楽・演劇」としてある。『很久没有敬我了你』は、台湾少数民族(原住民)*6とこれをルーツとする現在の音楽が一堂に会するイベントである。なぜミュージカル(オペラ)?とも思うが、おそらくはこの舞台が民族音楽の紹介と歴史的文脈への言及(教育・啓蒙)という、必ずしもぴったりと重なり合うことのない二つの目的を持った舞台であり、ゆえに音楽家である主人公が記憶の古層を訪ねて台湾全土を巡るというストーリーを、「ミュージカル」で上演することが選ばれたということなのだろう。*7全編中国語、日本語訳も英語訳もない。ちなみに、中国語のできない私には言葉のニュアンスや言外の意を汲むことはできないから、脚本についての評価はできない。また、私は台湾の歴史や事情に精通しているわけでもないから、こうした教育的なストーリーにあえて落とし込まねばならないことについての、文脈をふまえた上での評価もできない。ちなみに、音楽だけでいいんじゃね?と言われればそうだとも思う。そうすれば、もっと多くの曲を聴くことができたはずだから。だが、この点についてはこれ以上触れずにおく。
 舞台が始まって最初に歌われるのは『復仇記(Rebaubau)』という卑南(プユマ Puyuma)族の民族音楽である。これは、敵部族よりも少ない首級しか挙げることのできなかったプユマ族の男たちが再度リベンジの出撃をするに当たって、もっと首を取って来てねと彼らを励ます女たちの歌、であるらしい。*8この歌がかつて歌われたという事実を隠さない、そんな潔さ・媚びない態度を感じさせる選曲だと私は思う。ちなみにこの舞台で紹介されたプユマ族の歌には、10歳から18歳までの子どもたちが大人になるための軍事訓練を受ける際に歌う歌、というのもある。サルを敵に見立てて軍事訓練したのだそうで。それがこちら↓。



 私は台湾の音楽に詳しくないので知らないアーティストばかりだったが、今回どうやらその筋ではかなり知られたビッグネームばかりが出演していたようである。*9物語が始まって全国行脚を始めた主人公が最初に出会うアーティストが、このひと。↓。



 巴奈(パナイ Panai)。舞台には登場せず映像のみでの参加。映像の中で歌っていたのもここに紹介したのと同じ『台東人』という曲で、おもいっきり反核・反原発のアピールをしながらの演奏だった。ここにリンクを貼った映像でも、ギターに貼られたシールでしっかり反核・反原発をアピールしている。ちなみに冒頭で『復仇記』を歌ったのは紀曉君(サミンガ Samingad)。音楽一家に生まれ、幼少の頃から馴染んだ卑南族の伝統歌謡をバックボーンに持つ。2000年に台湾のグラミー賞とも言われる金曲獎で最優秀新人賞を獲得。日本でもアルバムを発売し、来日公演も果たしている。知りませんでした。サミンガさん、今回の舞台ではこんな曲も歌ってます(40秒あたりから)。↓



 ミュージカルは前半と後半に別れているが、前半最後のトリを努めるのがこの人↓。



 イッパツでやられた私はあの人誰っすか?と周囲の方々に訊ね、胡徳夫(キムボ Kimbo)の名前を聞き出し日本に帰って調べたところ、「台湾原住民民謡の父」、「台湾のボブ・ディラン」と呼ばれる大物らしい。西洋音楽を背景に、90年代から原住民音楽へと回帰。今回のエントリーはこのキムボを紹介したいがために書いた。曲は阿美族の伝統歌謡。詞はキムボ。キムボ、カッコイイでしょ。でしょー。
 さて、ちょっと長くなってきたのでここらで一休み。『很久没有敬我了你』についての紹介、その他台湾旅行記はまだ続く。

*1:台湾・屋上・家で検索すると、ここいらの事情がちょっと分かる。

*2:東洋出版 青木由香著 黄碧君訳

*3:JTBパブリッシング 青木由香

*4:青木由香さんのブログ『台湾一人観光局』http://bit.ly/cp9l8S

*5:台湾では繁体字が用いられる。

*6:台湾では「先住民」という語には「失われた」の意が含まれるという理由から、「原住民」と呼ぶのが一般的であるらしい。

*7:台湾では、現在政府が公認しているだけでも14もの部族が各地に点在している。

*8:DVD『『很久没有敬我了你』より』

*9:こちらの方のHPなどを参照してください。現在活動中のアーティストについて、かなり詳しく知ることができます。http://www.a-mei.jp/original/yzmz/index.html

最近の展覧会から(3)

 作品を成立させるためには私の身体の一部(キスや靴)が必要であり、必要とされることは私にとって名誉であり利益であるかも知れないが、しかし一方で、それはもはや誰のモノとも知れぬモノと成り果てる。靴もキスマークも、私のモノであったという事実を必要としていない。私は必要とされると同時に必要とされていない。だから切ない。ときに極悪非道とも言うべき作家の指示を我々哀れな鑑賞者が強固な自由意志をもって拒否するならば、しかしそもそも作品が成立せず、見るべきモノは何もないということになり、したがって我々鑑賞者は鑑賞者たり得ない、という点は、橋本の今回の作品がこれまでのものと共有している仕掛けである。その意味で、鑑賞者は「拘束」され、鑑賞者であることを「強制」されていると言えるだろう。(全ての彼の作品がそうであるというわけではない。念のため。)
 だから鑑賞者はもうずっと前から、この作品が作品の体を成す以前から、この作品を観るという行為において、作品の制作に関与することを約束していることになるわけだ。橋本の作品を「イジワル」だとか「イヤらしい」とか形容することに異義はないけれど、加えてそのイジワルっぷりはここに求められねばならぬ、と私は思う。作品が成立するために差し出され賭けられているのは、作家ないし作品の生(自己性)ばかりではなく、鑑賞者の生(自己性)なのである。死んで花咲くデッドボール。鑑賞者はときに自らを危険に晒すことを求められさえする。まるでのび太くんとの結婚を決意するしずかちゃんの心境である。さて、ここまでが、私が橋本聡による今回の展示から読み取ったことがらのいくつか、書いておきたかったことのすべて、である。ここから先は私の白昼夢であり、ただいまのところ結論は見えていない理論的彷徨である。最後に、充分に頭脳を刺激される展示であったことを付け加えておきたい。


 さてさて、だが、しずかちゃんはどうなるのだ?しずかよ、ほんとうにそれでいいのか?「死んで花咲く・・」などと言うが、ほんとうに「咲く」のか?少なくとも、橋本の今回の作品の中では、鑑賞者が「咲く」ことは考えにくい。できることはわずかだ。(だから切ない。)だが、これらの作品が提示するような、作品なるものを構成する諸関係にインスパイアされ議論を展開することは可能だ。気がかりなのは、しずかちゃんの存在である。
 のび太くんとしずかちゃんの関係、その立場の違いは、ニーチェが指摘していた二つの異なる交換の在りよう*1に似ている。ひとつは、何かを得ることで自らの成長を得ようとするような交換、これはのび太くんである。他方は、自らを差し出すことによって開花しようとする交換、これはしずかちゃんである。その関係は、『ガラス越しの口づけ』における作家と鑑賞者の関係にも、ちょっと似ている。*2しずかちゃんもおヨメさんである限りでは誰でもよい誰か(キスマーク)として自らを「差し出す」、しかし、そこに収まらない何かがあるのであって、でなければそもそも、なぜのび太が親に命じられたわけでもなく他でもないしずかちゃんを選んだのかが分からない。もっとも、それが何であるのかはのび太くんにさえはっきりとは認識されていないはずだけれども。(しずかちゃんは悪女かも知れないではないか。)ゆえにまた、誰のキスか分からないが誰かのキスであるには違いないガラス越しのキスマークが不気味なのでもある。
 しずかちゃんの存在が、のび太を惹きつける固有な魅力を備えつつしかしその正体がいまだ「不確定」なものとしてあるとき、二人の関係は芸術作品の比喩になる。(芸術作品とは、誰と問わず観たり聴いたり読んだりできるがゆえに人を引きつけるにもかかわらず、未だ誰にでも意味がわかるというものでない、なんだかよく分からないもの、である。)それを比喩と呼んで理論的モデルと未だ呼ばない理由は、問題が交換の有り様であるからには、別段、具体的かつ特定の結婚という制度に縛られる必要はないからだが、さて、これはしかし未だ芸術作品に‘ついて’の比喩であって、芸術作品の構造そのものを解明するものでない。(別タイトルへつづく)

*1:『悦ばしき知識』363

*2:のび太くんとしずかちゃん、作家と鑑賞者・・・、これらの対において言及されないものこそが、「しずかちゃん」ではないのかということが、橋本のパフォーマンスについて、実はずっと引っかかっている。

最近の展覧会から(2)

 今回展示されている橋本の作品は他に四つあるが、中でも『ガラス越しの口づけ』は『階段の上に置かれた靴』とほぼ同様の構造を持つものであるから、ここでは詳述しない。どんな作品か、ぜひご自身で確かめられたい。二つの作品が良く似たものであることは決して悪いことではない。というのも、そのことによって、コンセプトが明快になっているからである。『ガラス越しの口づけ』はギャラリー備え付けのガラス扉を用いた作品であるが、一応、「応相談」のオープンプライスではあるものの、これまた売られている。ただし、購入者による販売者への口づけが要求される。*1
 さて、会場中央に置かれているのは橋本のパフォーマンス・イベントを収録したビデオ作品である。コンセントがつながっておらず、ビデオを見るためにはテレビを抱え持ち上げ、天井からぶら下がっている電源へと自分でコンセントをつながねばならない。働かざる者観るべからず。数十分はありそうな記録映像を見るために決して抱き枕のようには軽くはないテレビを抱えて腕をぷるぷる震わせながら、とっても見づらい姿勢のまま、ビデオ鑑賞するわけである。二人いた場合一人は楽ちんである。楽ちん担当は近所のイタメシ屋で晩飯をおごるのでなければならないだろう。ちなみに、この作品の‘値段’は「79㎏の貨幣(あなたが持ってくる)」とされている。作品コンセプトに沿ってはいるが、ここまで紹介してきた他の作品に比べると、ユーモアに力点を置いていると言ってよいのではないか。「79㎏の貨幣(あなたが持ってくる)」について細々言うのがはばかれるのは無粋を避けんがためである。
 ここでの見所はやはり、収録されたパフォーマンス・イベントの方であろう。会場から離れた街なかに出てヌイグルミのように動こうとしない作家(橋本)を、イベントに参加した人々が協力してギャラリーまで運び込むよう命じられこれに従う、というものらしい。(今回の展示にあわせて行われたパフォーマンス・イベントとは別のもの、別の機会に行われたイベントの記録であるらしい。)参加者にとってはちょっとした「災害ユートピア」状態であろう。「であろう」と書くのは、私が参加していないからである。ゆえに細かく書くことも分析することも叶わない。かえすがえす、雑事に阻まれパフォーマンス・イベントに参加できなかったことが悔やまれる。これまでの橋本作品から少し進んでいるように思われる点は、これはもはやパフォーマンス・イベントという枠組みを知らずとも、自動的に参加者が集まる可能性がある、ということにある。言いかえれば、アーティストと観客であるとか、アートプロジェクトと参加者であるとかいった力関係に、必ずしも頼る必要がない、ということである。*2街なかにぐったりとヌイグルミの様に動かない普通の身なりをした若者を見かけて、声を掛けない人間がいるだろうか。(つづく)

*1:自分の唇の痕跡が誰のモノとも知れぬまま、どこかの誰かに所持されるわけである。また、ここに入り乱れたキスマークは、性別も誰のモノかも分からないが、これを所持する人は、一体何を考えてこれを購入・保存するのだろうか?

*2:「進んでいる」とは、彼のある方向性において、という意味である。アートの外。

最近の展覧会から

 ギャラリー*1の扉をくぐる前にまず、半地下にあるギャラリーへと降りる階段の最上段に、ちょこなんと揃え置かれた使い古しのスポーツシューズが目に入る。はっきり言って汚い靴であり、甲の部分の破損と摩耗が激しい。どこをどうすればこんなにボロボロになるのかと不思議に思うが、なんと、「あなたの靴と交換してください」との貼り紙が添えてある。絶対に、ヤダ。わざわざこんな廃棄確定の靴をもらっていかねばならない道理は無い。これは今回展示されている橋本聡の作品の一つ、『階段の上に置かれた靴』である。
 今回、ncaギャラリーでは展示された橋本聡の作品すべてを販売している。パフォーマンス・イベントを活動の中心に据えてきた橋本の作品が販売されるということはこれまで無かったのではなかろうか。そしておそらく、橋本の今回の展示は作品を売るということを一つのテーマに据えての、思考実験なのではないだろうか。というのも、そう考えると、ここに並んだ奇妙な作品群に対して、通底した或る意図を見出すことができるように思われるからである。
 たとえば、『不確定募金箱』なる作品がある。中が透けて見えるよう透明なプラスチックで作られた四角い箱、どこにでもある普通の募金箱である。ただし、募金のあり方が少々異なっており、募金の用途はこの作品を購入した者の恣意に任される、としてある。つまり、ここで為される募金は、いまだ目的の確かならぬ‘純粋募金’であり、作品を購入することは、善意ゆえかイタズラ心ゆえかとにもかくにも喜捨ではあるところの‘純粋募金’に対し、責任を負うということである。募金が、無知なる我々献金者の意図を超えて、望んだ以上に、見事に活用されることもあるだろう。とは言え募金が、我々賢明なる献金者の意に反して、悪事に、望まれざる目的に使われることだってあり得よう。このとき、募金活動に応えた我々はいったいどのようにして、自らの行為に責任を持つことができるのだろうか。贈与(喜捨)の力が「負い目の感情」を生むと信じて「募金」するのだろうか?責任を取らんとばかり作品を買い上げるだろうか?(買い上げてしまえばしかし、自らの意志を超えて活用される募金の可能性を、「不確定」さを、失うことになる。)『不確定募金箱』によって、募金を巡る考察は、なにやら芸術を巡るそれと区別がつかなくなってくる。
 次に、先述した『階段の上に置かれた靴』であるが、これも販売の対象になっている。ギャラリー内の視線から逃れて置かれたこのばっちい靴は、一体誰のモノなのか?誰のモノだったのか?「あなたの靴と交換してください」との貼り紙とその置かれてある場所が、今や元の所有者が誰であったのか誰にも分からなくなっているだろうことを暗示する。少なくとも、今ここで、このばっちい靴を目の前にしている私には、分からない。誰のモノとも知れぬ靴を、もはや身体の一部ですらある履き慣れた私の靴と交換する?私の靴は誰が履くのだ?誰のモノとも知れぬままどこへとも知れず履かれてゆくのか?切ない。この終わり無き負の連鎖を断ち切ろう、そうだ、この靴と私の靴を交換した上で、これを作品として買い取ってしまうというのはどうだ?だが、このアイデアは予め失敗に終わるよう定められている。というのも、作品を手に入れるためには、お金プラス「あなたの履いてきた靴」*2を差し出さねばならないとされているからだ。私の履いて来た靴が、またしても『階段の上に置かれた靴』にされてしまう可能性は否定できない。では無視するか?見なかったことにしようか?何も無かったことにしようか?『このことは知らぬふりをすると約束しますか』とは、かつて発表された橋本の作品タイトルであるが、そうだとも、「知らぬふり」を決め込もう。だが、この試みもまた失敗を運命づけられている。というのも、「見なかったことにする」あるいは「知らぬふりをする」という行為自体が、作品の存在を、切なさの連鎖が存在し続けることを、証し続けることに他ならないからである。『階段の上に置かれた靴』は、私の内面深く、誰からも見えないところに巣くってしまうことになるだろう。
 作品を観ることと作品を作ること。誰のモノかも分からない身体の一部と交換される、その返礼すら期待できぬままに差し出される誰のモノかも分からないものとしての私の身体。この行為の連鎖を止める術はなく、その存在を無かったことにすることもできないという状況(シナリオ)を、販売という手段を利用して、『階段の上に置かれた靴』は表現している。(つづく)

*1:http://www.nca-g.com/exhibition/ 「Identity VII ゆっくり急げ」 作家:木村太陽、豊嶋康子、橋本聡、ブラッドレー・マッカラム&ジャクリーヌ・タリー  キュレーション:住友文彦  会場:nca | nichido contemporary art

*2:プライスリストの表記を参照すると、「履いてきた」は「きた」と記されてあり、したがってこの語の解釈は複数あり得る。「あなたが今日まで履いてきた靴」の意と、「あなたがここへ来るために履いてきた靴」の二通りの解釈があり得る。が、ここでは後者の意すなわち、‘ギャラリーに履いて来た靴’の意に解釈しておく。そうでないと、ワケがわからなくなるからである。

幸運について

 入院中の父を見舞った帰り道のこと、時刻は7時をまわってあたりはもう暗い。私は背後から近づいてきた車に乗った男二人から声をかけられた。すいません、ちょっとすいません、道を訊きたいわけじゃないんですけど。はい、はい、なんですか?今法事からの帰りなんですけど、引き出物もらったんですけど、高級な○○の腕時計で、ペアで、これ会社持って帰ると給料引かれちゃうんで、盗品とかじゃないんで、受け取ってもらえませんか?え、なんですか、質屋かなんか持ってって換金したらいいじゃないですか?いやそれもそうなんですけど時間なくて、もらってもらえませんか?おお、これは今流行のタイガーマスク運動の影響なのか?それとも誰にも内緒だが初詣で祈った金運上昇がさっそく叶ったのか?俺にもついに金運が巡ってきたのか、こんなことがあっていいのか?わかりました、いただきましょう、でもボク質屋持ってって換金しちゃいますよ。おそらく私の両目が希望の光に満たされウルっと輝いていたのを彼は見ていたに違いない、出された品を受け取ると、男はもう一つ品物を取り出して、車を降りずに言う。こちらは××のブレスレットでウン十万円するもので、こちらもついでに受け取ってもらえませんか?ええーっ!そうなんですか、分かりました、僕もたいへんお金に困っているので人助けをしたと思ってくださいね。と言って受け取ったとたん、男が言う。あの、これ高価なものなんで、すいませんが、一万円ほどお礼としてもらえないですかね。はあぁっ!?何言ってんすか!?そんなカネあるわけないじゃないすか?一万円もだめですか?あたりまえじゃないすか?お礼ってなんすか?僕今父の見舞いの帰りですよ、カネなんて持ってるわけないじゃないすか?私がそう言うと、東京から東か北であろうお国なまりの残る男は、一万円もだめっすか、じゃあ、と吐き捨て品物を引っ込め、車は数メートル先の角を左折し去っていった。
 

『試行と交換』ワークショップ 橋本聡

argfm2011-01-27

 横浜は日ノ出町にある『急な坂スタジオ』にて開催中のワークショップ、『試行と交換』*1に行ってきた。私が参加したのは橋本聡のワークショップである。
 橋本聡の多くのパフォーマンス・イベント*2同様、今回の「ワークショップ」でもまた作家は、事物や人々が或る特定の仕方で関係することを強いるようなシナリオを用意し、提示している。(ここで言う「シナリオ」とは筋書きの意味ではなく、何かが起きるために必要な諸要素・仕掛け・道具立てのことである。)ワークショップの会場となる多目的ホールに入る前に、参加者全員にA4サイズの紙が3枚ずつ配られる。作家から、ホール内では紙の上に足を置くこととし、そこから出てはならないとの指示が与えられる。さらに、ホール内では床に手をつくことも尻をつけることも許されない、とされる。(おかげで私は筋肉痛である。)作家、参加者、記録係はみな、紙を飛び石のように床に置き、そこに足を置くことで移動することになる。
 ホールに入るとすぐ、机の移動や棚の紙を取るなどの簡単な用事を、参加者の何人かが作家から言いつけられる。ちなみに私はホールの隅に置いてあった紙と鉛筆を取って作家に渡すよう頼まれ、従った。なんでもない作業が、当初の指示による運動の拘束があることで、ちょっとした達成感を伴う共同作業のように思えてくる。作家と参加者たちによってホールのほぼ中心部に、ヒト二人が席を並べられるくらいの長さの、一般的な会議室などでよく見かけるタイプの机が二つ、ぴったりとくっついて置かれ、その机の上に全員立って乗るよう指示される。机の上では互いの体が触れるか触れないかギリギリくらいの近さで、作家を含め全員が向かい合わせで立ち並ぶことになる。天井に手をつくことが許される。この状態で、今回の「ワークショップ」で参加者は何をすべきであるのかが、作家によって説明される。お分かりのように、互いが初対面である参加者たちにとってこの状況は、互いに親しみやすさを抱く契機でもあると同時に、距離が近すぎることから来る圧迫感・緊張感を抱かせもする。鑑賞者や参加者たちをダブルバインド状態に置くシナリオは、彼がこれまで行ってきたパフォーマンス・イベントに通底するものである。
 今回のワークショップで参加者たちに求められたことを簡単に言えば、予め作品を作品として保証してくれることのない場においても成立するような作品、あるいはジャンルに回収されない作品についてのネタ出しであり、絵などの作品の提出であり、あるいは、そうしたアートのあり方についての議論を示すことであった。作家が参加者たちに求めたこの指示は口頭でなされ、レジュメなどは一切ない。参加者たちはホールに散り散りになり、配られた数枚の白紙にネタや作品、論点を書き出すよう求められる。紙面構成についても考えるよう指示が追加される。作家は室内に点々と散らばって作業する参加者たちの間を縫って歩き、作品について、理論的問題について、議論してゆく。基本的には作家と参加者との一対一の対話であるが、参加者は室内の全員に声が聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで話すことを求められ、ときには突然議論への参加を呼びかけられたりもする。作家は参加者たちの議論をつなげたりつきあわせたりしながら会場内を移動し、ときおり手に持ったエンジンブロワーで床に転がした色とりどりの円筒形の糸巻きに強風を吹き付ける。エンジンブロワーの騒音によって離れた場所でなされる会話にも注意が促される一方、離れた場所にいる人の話し声はところどころかき消され聞きとりづらい。糸巻きはころころと転がって糸をのばし、床に線を描き出す。ここにもまた、応答するよう呼びかける声と、応答を拒否する声との間で、参加者はダブルバインドを感じることができる。ありがたくもないけれど。
 「ワークショップ」は3時間にわたって行われ、終了時に全員が再び机の上に集まって立つよう求められ、参加者それぞれによる‘総括’が求められた上で作家との議論がなされる。最後に、全員にA4サイズの紙が配られ、自分の顔をこれで覆ってなるべく上手に鉛筆でトレースするよう求められる。紙は回収され、混ぜ合わされた上でビニール袋に入れられて参加者たちに一つずつ配られる。誰の‘顔’が誰の手元に渡ったのかは分からない。ちなみに私が受け取った‘顔’は、誰のものなのか判別不能である。
 今回の「ワークショップ」とこれまでの橋本のパフォーマンス・イベントとの違いは、作家も参加者もゴールがどこにあるのかを知らず、また分からないということを前提としている点にある。また、一般的な体験型教室としてのワークショップとも異なる。この「ワークショップ」は参加者を鑑賞者や受講者として目的に据えているわけではなく、完結した作品でもなければ、確実な知ないし技術の伝達を目的とするわけでもない。ガイドラインを示すレジュメはなく、討議可能な対象としてのテクストもまたなく、誰がやっても同じ効果を引き出すことの期待できる反復可能な練習方法が示されるわけでもない。端的に言って、この「ワークショップ」を記述しようとするならば、参加者自身がその生成過程に含まれ、影響を与えていることに対して自覚的にならざるを得ない。従って、参加者全員の記述が同じになることはあり得ないだろう。とは言え、一方で、ホール内にいる全員に、誰もが反復可能であるような或るオーダーなりシナリオなりが常に課されてもいる。このように、今回の「ワークショップ」は作家が仕掛けたシナリオを経験するというだけではなく、議論のプロセスそのものとしてもあり、いわば会議でもある。つまり、これはパフォーマンス・イベントを装った会議のようでもあり、ワークショップを装ったアートのようでもある。あるいは、パフォーマンス・イベントの遺伝子を受け継いだ会議のようでもあり、ワークショップの遺伝子を受け継いだアートのようでもある。ゆえに、ここではワークショップあるいはパフォーマンス・イベントという語に「」を付けて語ることを余儀なくされるのである。むろん、ここで「」を付けるとは、引用符の中に書かれた語が、周知のものとされ得ないような贈与として扱われることを意味している。おそらく、橋本の狙いはここにあり、それは成功している、と私は考える。
 自己目的的な再生産の産物としてのワークショップあるいはパフォーマンス・イベントを問う営為としての、作家によって仕掛けられた「」付きの「パフォーマンス・イベント」あるいは「ワークショップ」を参加者である私は受け取った。いったい、「おみやげ」として配られた参加者たちの「顔」を私に受け取らせたのは何だったのか、私は参加者や作家の声を受け取ったのか、「おみやげ」とは何か、「」を付けるとは何かといった、私が受け取ったものについて、私が考えざるを得ないのは筋肉痛のせいばかりではおそらくない。無関心を決め込んだり忘却したりすることを咎めるような、受け取ったものについて考えざるを得ないようにさせる何かが、この「ワークショップ」にはあった(ような気がする)。

*1:http://wedance-offsite.blogspot.com/2010/11/blog-post.html 

*2: 詳しくは、橋本聡作品集『Wake up,Black,Bear 橋本聡』 高嶋晋一、印牧雅子 WORKBOOK発行 2007  を参照のこと。 WORKBOOK 連絡先workbookmailあっとgmail.com あっとを@に変換