すもも画報 in 台湾 その2

argfm2011-10-07

 東京に残してきた現在入院中の私の父*1は、大酒飲みである。彼が夜中の3時より前に帰宅したことはない。酔っぱらうと辺り構わず「消えろ、消えちまえ、小さなロウソクよ!」とかヤリ出す。子供心に、コワイし、恥ずかしかったことを思い出す。酒が原因で身体をこわしたのだと私は思っている。そのせいか、私は酒は嫌いではないが、酒に耽溺するヒトの気持ちが分からない。しかし、そんな私を号泣させるこの曲。↓



 『白米酒』(作者不詳、部落歌謡)*2


White rice wine,I love you,no one can love you more than I
I’m obsessede with you, I’m crazy for you, you are so charming


Drink it up, drink it up, I don’t mind, no one can stop me
A thousand glasses, then a thousand more, drink it up


 教会音楽入ってますね。映像での演出ではそのことを臭わせている。ここではゴスペルっぽく歌ってもいる。が、一方で歌詞は全く教会的ではない。酒を賛美してどうする?あまつさえ、おまえが酒と呼んでいるものは本当に、ほ ん と う に 「酒」なのか、と勘ぐりたくなるほどの入れ込みようだ。千杯、万杯、もう一杯って・・・(ノ▽〃)。話が逸れた。私は酒飲みと和解したのであった。台湾と日本ではキリスト教の伝来はほぼ同じ時期だったようだが、キリスト教が禁止されなかった極東での音楽の運命だと考えると、こんなところがパラレルワールド。歌はサミンガの実妹、家々(ジャージャー Jia-Jia)。ハモっているハオエンとはユニットを組んで受賞したこともあるらしい。話すことを覚えるより先にすでに歌っていたといういかにもなプロフィールを書き込まれる余地のない程に彼女のキャリアが充実する日は来るのか。幼少時を過ごした台東の思い出をもとに曲を出している。若手人気歌手の一人。ちなみに、チリチリパーマの放浪詩人パナイが歌うとこんな感じ↓。



 今回の舞台は前年と異なり野外ステージだったが、台風にもかかわらず、舞台の最中はラッキーにもほとんど降られなかった。ちなみに野外ステージでアーティストみな思いっきり声を張るせいか、コブシの効きようはCD以上、はんぱでない。アンコールで大盛り上がりしたのがこの曲↓。



 観客総立ち。もちろん、我々も立ち上がる。踊り出す人たちアリ。アンコールでソロを努めている歌手の一人が、陳建年(チェン・ジェンニン Pau-Dull)。後から歌ってるほうです。サミンガ=ジャージャー姉妹のおじさん*3で2000年の金曲獎最優秀國語男性歌手賞と最優秀作曲賞を、大方の予想を覆して受賞、だそうである。台湾原住民音楽の継承において主要な人物の一人とされ、今回の舞台でも多くの曲が歌われた作曲家陸森寶(ルー・センバオ Lu Sen-bao 日本名;森寶一郎)を祖父に持つ。普段は警察官であり、マイペースで仕事(音楽の)をしているのだとか。劇中では素朴な小芝居を披露しつつも警察官役で登場し、観客に大受け。ここで先にソロを歌っているのがさっきも出てきた呉旲恩(ウ・ハオエン WU Hao-en)。政治運動をしていたグループ(原音社)が発展して結成されたAm家族樂團のメンバーとして参加しているようである。プユマ族伝統歌謡『南王系之歌』でノリノリのハオエン↓。



もういっちょハオエン。『トカゲのブルース』(作詞作曲 ハオエン)(50秒あたりから)↓。




 チェン・ジェンニンが歌う『美麗的稲穂』(作詞作曲 ルー・センバオ)↓。



 映像は、映画の中で主人公がかき集めてきた各部落の人々が列車で音楽堂へと向かうシーンで終わる。映像が終わったとたん、彼らがスクリーンを飛び出し、音楽堂へと一斉に「到着」するという、感動のシーン。紹介した映像とは違い、屋外でのコンサートだった今回は舞台脇のセットから巨大クラッカーの爆音と共に登場し、観客の間を歩いて入場。子どもたちの笑顔がかわいい。↓。



 アンコール、アンコールを繰り返して観客席がなんだか沸かしすぎた鍋のようにぐにゃぐにゃグダグダになったところで終了、解散。街を見るため、会場だった中正記念堂広場からホテルまで30分ほど歩いて帰る。道すがら、小腹を満たすためマックに入るも言葉が通じず。ダブルバーガーを注文してトリプルチーズバーガーを得る。前回のエントリーで書いた足裏マッサージは、実はこの日に行ったものだったようだ。(私の記憶違い。)記事には書いていないが、いろんなことがいっぱいあったのだ。忘れて当然だ。


 10月2日。まだ台風。ツアー二日目。集合場所の中正記念堂へと向かうタクシーがデンジャラス。まくるあおるで赤信号も無視。モーターボートかとツッコミたくなるくらい上下に激しく揺れ、横方向へのGがすさまじい。ともあれ、ボッタクリも特殊技術料金の上乗せもなく、支払い額は通常通りであった。雨の中、無事集合場所に到着。今日は不老部落(Bulau bulau)なるところへ連れて行ってもらうのだ。(つづく)

*1:9月29日付の東京新聞朝刊‘くらし’面に、「医療ケア 休めぬ家族―短期入所施設の受け皿少なく」との見出しで記事が載っている。現在病に伏せっている私の父も、この記事に書かれているケースに相当する。この記事が指摘している問題は、痰の吸引や胃瘻管理など、有資格の医療関係者による頻繁な介護を必要とする患者が、にもかかわらず病院に置いてもらえない・入院を継続できないという、今日現在の医療事情である。記事では原因の分析にまで踏み込んではいないが、こうした問題は、後期高齢者医療制度や、重度の要介護高齢者向け施設が未だ高額であること(20〜40万/月)などに原因がある。

*2:*漢字が表示されないので英訳詞のみにしました。DVD『『很久没有敬我了你』より。

*3:叔父か伯父かの調べは付いていない。どなたかご存知でしたらご教示下さい。