作品について 最終回  12/11改(青字)

(つづき)
 『限界芸術論』に戻ろう。既に触れたように、普遍性の僭称を批判する目的において芸術の外部たる「限界芸術」の普遍性をこそ尊重し保護するのだという口実は、しかしながら、制度としての芸術業界なるものの積極的な(お節介な)介入を批判することができない。つまり、芸術作品という枠を枠たらしめている暴力を批判することができない。「限界芸術」は、自らもまた普遍性を僭称することに拠る以外、普遍性の僭称を批判できないわけである。*1これは、「リアリズム」の美名の下に、たとえば今日、村上隆などが主張している論理と同型であろう。(尤も、こうした論理に従っているのは村上隆ばかりではない。ならばなぜ、猫も杓子も村上隆を論じたがるのか、単一化するその力について、論者達の考えはどのようなものなのか?)そのとき、芸術はもはや芸術様式・芸術精神とでもいうべき「文化人類学的概念」でしかあり得ないだろう。事実、しばしばこの論理を主張する論者達は、「芸術」と言わずに「現代美術」であるとか「西洋美術」などと口にするのである。芸術の歴史は、「民族的空想の自由」となる。当然、最も素朴な疑問が彼らに浴びせられて然るべきであろう。すなわち、なぜこれが芸術なのか、と。この問いこそは、彼らの闘争の動機であったにもかかわらず。*2
 これに対し、私は「限界芸術」を既に述べたような、手直しされた限界芸術として捉え直すだけで、充分であると考える。問題はおそらく、ドゥボールの目指すところがそうであったのだが、内面化された法をいかにして解体するか・そこから逃れるかということではあるまい。諸個人において法が解体されたところで、法の必要性が疑問視されるわけではない。(むしろ強化されさえする。)そしてまた、問題は、権利を求めることだけであってもならないだろう。限界芸術は、権利を求めることによってではなく、おのれの〈普遍性=遍在性〉によって、作品を作品たらしめる力の内実を問うべきである。
 『限界芸術論』が批判し得なかった枠の暴力を、ドゥボールは批判し得た。「相対的剰余価値」を特権的に生み出す場としての芸術ないし芸術家(代理、代表)を、「スペクタクル」として批判したことは正しい。*3だがこの時、芸術作品を芸術作品たらしめるもの、すなわち、現前しない法を、「商品」の名の下に斥けてしまうことによって、彼は「スペクタクル」を批判する契機をも同時に斥けてしまっているのだ。というのも、[真の自己としてのそれであれ、動物や機械としてのそれであれ]「他者」への生成を謳うドゥボールが決して言及しなかったこととは、なぜ「他者」に成らなければならないのか、何が人をして「他者」を志向(思考)させるのか、ということだからだ。
 問題なのは、こうした問答が未だ相も変わらずなされ得るということにある。私が美術批評や哲学書を読み始めたのは美大に入ってからであり、それからもう20年ほど経つ。にもかかわらず、多くの議論は相変わらず同じところを堂々巡りしている。だが、そもそもこうした問答*4は既に60年代から反復されているのだ。問われるべきはむしろ、なぜ、そうした再生産が未だ可能なのかということではないのか。それは単に具体的な経済にばかり起因するものではないだろう。(とりあえず終わり)

*1:誤解はないと思うが念のため。私は鶴見が『限界芸術論』で採り上げた作品が普遍性を僭称していると言っているわけではない。鶴見による「限界芸術」というアプローチにおいて、普遍性を問う契機がない、と言っているのである。

*2:私はまだ『思想地図』を読んでいないが、今号では村上隆と当代きっての理論家ないし知識人達とのバトルがあるらしい。当然、この程度の批判は言われているのだろうが、一応、書いておく。『思想地図』を読んで何かここに付け加えねばならないことがあれば、いずれ付け加えるつもりである。---- 『思想地図vol4』で村上隆を迎え、東浩紀黒瀬陽平らがインタビューをしているが、読む必要はまったくなかった。このタイトルで書いたことに対し、付け加えることは何もない。彼らの会話に私が批判的である理由は、これまで「すもも画報」でさんざん書いてきたことの繰り返しであるから、改めてここに書く必要はないだろう。まったく別の文脈から、彼らの議論を検討することは面白いかも知れないが。

*3:たとえば村上隆の作る「キャラクター」。これを批判するための論理は商品と貨幣の関係において考えることができる。すなわち、商品の集合から排除された特権的な商品である〈貨幣=「芸術」〉、と。このとき、この特権はどのように与えられているのか、そう問うだけでよい。

*4:ハイデガーマルクスクロポトキン