すもも画報 in 台湾 その4

argfm2011-10-09

 お腹を満たしダンスも踊ったところで、部落の集会所も兼ねている食堂を離れ居住区の見学へと向かう。カリによれば、ここで栽培した椎茸は台湾の高級ホテルに高値で取引してもらっているが、とは言え、当初は農作物を売って金(カネ、貨幣)を得ようと画策してはいたものの、基本が自給自足のための耕作ということもあって未だ市場に出せるほどの量は獲得できておらず、こうしてベジタリアンにも対応可能な「レストラン」を開きゲストをもてなすことでカネを得ている、とのこと。レストランも続けて欲しいが、早く粟酒を売れるようになって欲しいものだ。料理は薪を使っているし、大がかりな電気仕掛けの機械も無いわけだけれども、それでも、4WDやパソコンを動かしたり作物の種子を他から入手したり病院にかかったり留学したりなどなどするためには、避けて通れぬ問題である。*1他に、主に女性が行う機織りで作った布製品を販売することでカネを得ている。部落のあり方に感動し共感し世俗の垢を落としたゲスト達は、ここでカネをも落としてゆくのでなければならないわけだが、今から我々が見学に行く場所の一つがこの機織りのための仕事場である。
 機織りはタイヤル族の女性にとって一人前と認められるための通過儀礼である。機織りが忍耐力と知力を試される仕事だからである。忍耐力とは長時間足で機を支えること、知力とは複雑な織り模様を紡ぐために必要とされる知性のこと、である。むろん現在は踏襲していないがかつては、機織りのできる女は頬に刺青を入れたのだそうだ。(ちなみに、男性の場合は首級を挙げたら刺青。)今回は雨のため通常彼女たちが仕事をしている場所へは行けず、代わりにゲストハウスで機織りの作業を見せてもらうことに。食堂兼集会所は、風や太陽の動きなどを計算したタイヤル伝統の技術によって作られる茅葺き小屋であるが、こちらはタイヤルの技術を生かしつつも、部落が見渡せる壁一面のガラス窓を持ったログハウス風家屋であり、電灯もある。技術者の指導の下、自分たちで作ったという。屋根のかかった外庭のようなところに囲炉裏があり、そこに、アーティスト・イン・レジデンスで滞在したアーティストから教わったという技術を用いて作られたランプが吊るしてある。滞在したアーティストにはタイヤルの技術を学び持ち帰ってもらうことになっているという。ここでタイヤル族伝統の織物を指導しているおばあちゃんは、もう何十年も(たしか40年以上も)機織りをしていなかったため、粟作り同様、そもそも機織りの技術を思い出すところから始めねばならなかったそうだ。少しずつ少しずつ思い出し、麻糸を作るところから現在は装飾入りの服を作ることもできる。不老部落の周囲にはタイヤル族の人々が住んでいるが、彼らにタイヤル伝統の機織りの技術を授けようと、ここで教室を開き、制作物の販売もしている。品物が売れればすべて彼女たちの収入になり、彼女たちの向学心を支えているらしい。パートナーがせっせと購入。


 10月3日。雨。ホテルの朝食は不味いのでキャンセルして、街へ出てお粥を食す。満足していざ出発。台湾の市バスに初挑戦するも、台湾のバスが行き先までの最短距離を行くものでないことを後で知る。ゆっくりと市内観光させてくれるバスを全ての乗客が入れ替わった時点で焦燥と共に途中下車し、なんだかよく分からないが最寄りの地下鉄駅へ向かう。切符はカジノで使うプラスチックのコインみたいなやつ。目的地までは30元(およそ81円)。今日は故宮博物館へ向かうのだ。(つづく)


陳建年『海洋』

*1:彼らがどの程度までこうした文化を許容し、あるいはまた、どのようにして共存しているのかということについての細部までは、さすがに一回の「見学」のみでは分からなかった。彼らの挑戦が主に技術・文化の継承や自然との調和を目的とした営為であり、理想と思想を支えとはしても観念的空論を支えとするものでないことは明らかだと思うが。